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破片とは?/ プロミス

[ 113] ラピスラズリ「天空の破片」
[引用サイト]  http://cromagnon.net/blog/topic/lapis/

ラピスラズリ―金色の斑点が輝く群青の石。古代ローマの博物学者プリニウスはラピスラズリを「星のきらめく天空の破片」と表現した。ラピスラズリの美しさを言い表すのにこれほどふさわしい言葉は他にはあるまい。
神秘的世界を思わせる石、ラピスラズリは古代から現代にいたるまで数多くの伝説を生み、世界各地で人々を魅了してきた。
装飾品にとどまらず、工芸品や宗教的な儀式を行うための道具、鮮やかな青を描くための材料、時には薬や化粧品などにも用いられ、美しさと力を備えた石として人と長い係わりをもってきた。
ラピスラズリの産地はアフガニスタン、シベリア、チリ、アメリカ、コロラド州など非常に限られており、歴史に古くから登場するのはアフガニスタンのバダフシャン産出のものである。
エジプトでは、紀元前3000年頃の墳墓から、この地では産出されないラピスラズリの装飾品や工芸品が数多く発見されている。
有名なところでは、ナイル河畔の町ルクソールの対岸にある王家の谷で発見されたツタンカーメン王(紀元前1350年頃)の黄金マスクにラピスラズリが使われ、当時のままの美しい金と青のコントラストを見ることができる。
ラピスラズリはエジプトにおいて天空と冥界の神オシリスの石とされた。ラピスラズリをはめ込んだツタンカーメン王の棺には死者の書の呪文とともにオシリスの像が描かれ、霊魂の流転再生の願いが込められた。
他にも太陽と再生のシンボルである虫スカラベやオシリス神の鷹の頭を持つ息子ホルスの目がラピスラズリに彫られ、護符として用いられた。
ルクソール神殿 また古代エジプト人はラピスラズリの持つ超自然的な力が病気にも効くと考え、眼病や鬱病、頭痛などの際に粉末にして塗布したり服用したりしたとパピルスに書かれている。
病気、怪我などが悪霊や呪いなどによって引き起こされると信じられていた時代にはごく当然のことである。
メソポタミアでは、紀元前2500年頃、チグリ ス・ユーフラテス河のデルタ地帯に存在したシュメール人の古代都市国家ウル(現在はイラク)の遺跡のプアビ女王墓からはラピスラズリのネックレス、ラピス ラズリとカーネリアンのビーズが付いた黄金の頭飾りなどが多数発見された。
旧約聖書の出エジプト記には、祭司の装飾品のひとつである胸当てにはめ込む石として青い石(Sappir)ラピスラズリの記述を見ることができる。
また新約聖書のヨハネ黙示録には、世界が終末を迎えた後現れるとされる新エルサレムの都の神殿、東西南北12の礎にはそれぞれ12種類の石で飾られ、そのうちの2番目がラピスラズリであると記されている。
ヨーロッパでは、ルネサンス期、ラピスラズリは「ウルトラマリン(海の向こうから来た青)」と呼ばれ、群青色の顔料として珍重されていた。
ラピラズリから抽出したこの顔料は他のものでは同じ色を出すことができず、金と等価で取引されるほど高価なものであった。
画家たちはこの鮮やかな青を聖処女マリアと子イエス・キリストのローブのみに使っていた時代もあったほどである。
奈良、正倉院の宝物庫には、紺玉帯と呼ばれるラピスラズリで飾られた黒漆塗の牛革製ベルトが収められている。
ジパング(日本)を目指したマルコ・ポーロ(西暦1254-1324年)はその著書「東方見聞録(原題/百万の書)」の中でラピスラズリを求め、その産出地であったヒンドゥークシュ山脈北部、バダフシャン地方のラピスラズリ鉱山を訪ねたことを次のように記している。
「世界中でもっとも高品質なラピスラズリがこの地方の山で採れる――そこへ行くには岩山の側面を切り出した細い小道を抜け、つり橋を渡らなければならなかった――銀の鉱脈のように縞状になってそれは現れた。」
シルクロードという言葉は1877年にドイツの地理学者リヒトホーフェンが東洋と西洋を結ぶ隊商ルートをこう命名し、そのロマンティックな響きから広く知られるようになった。
中国産の絹を中央アジアのオアシスを通じて、イラン、インド、大消費地国であった当時のローマへ運ぶ交易路の一大ネットワークであることはいうまでもない。
歴史的に見ると、紀元前2世紀頃、前漢の武帝の匈奴討伐による西域の安定化がその後の活発な東西の交流のきっかけだった。
交易品としての絹の登場が、それまであった中国?インダス、インダス?メソポタミアの交易路を有機的に結びつけることになっただけで、当然、それ以前から交易路は存在していた。
ラピスラズリはエジプトやメソポタミアの遺跡を始め、古代オリエントの居住跡のあらゆる層でラピスラズリが出土している。
アフガニスタン国境に近いイラン南西部シャアリ・ソフタ、ここではこの地では産出しないはずのラピスラズリ、オニキス、カーネリアン、ターコイズなどの原石が見つかっている。
ヘルマンド河下流に位置するこの居住跡は最盛期にはおよそ1万人以上が生活していたと考えられている。
原石の他、加工済みの石、加工工具などが見つかっているところから、この地は石の加工場所であったらしい。
さらに面白いことに、ここで加工されたものは多種多様で、消費地となる民族にあわせたスタイルに作られているということである。
これらの点を線で結ぶとアフガニスタンからメソポタミアを中継したエジプトまでの交易路が浮かび上がってくる。
――ラピスラズリ鉱山で掘り出された原石はロバの背上で揺られながら、ヒンドゥークシュ山脈の険しく細い道を下ってくる。
山麓の村や町で何度か積み替えられた後、加工地でいくつかの荷を下ろし、代わりに加工品を積んで、ペルシャ湾に向かう。
港で積荷を船に載せ、アラビア半島のいくつかの港に寄航しながら、チグリス・ユーフラテス河口まで航海する。
ウル、ウルク、バビロン、マリ、聖書に記された町、歴史に記録されなかった町、背中に大きな荷を振り分けたラクダは廃墟となった町を悠然と通り過ぎていく。
ユーフラテス河をだいぶさかのぼり、幾度か荷物を積み替えた、シナイ半島へ向かうことになった。いくつかは地中海へ行くらしい。
華僑が経営しているところが多いが、ヒゲを蓄え、アラブ系の顔つきをした店主でラピスラズリのビーズが置いてあったら、恐らく彼はアフガン人だ。
彼はきっと「ほんのちょっとしか利益がないんだ」とか「こっちの方が色がきれいだろ?だから高いんだ」と言うだろう。

 

[ 114] L'eclat des jours
[引用サイト]  http://arton.no-ip.info/diary/

イントネーションかも知れない。「ドロのように」のドにアクセントを置いて発音すれば、つまり「泥」として平坦に発音しなければ、ドロちゃんとかの場合のドロになるから、そういう意味かも知れないな。つまり、他人のわざを盗めと。職人さんみたいだ。
犬馬の労をとれという意味で使ったのだろうが、犬とか馬扱いはまずいと思ったのだろうか。言い方変えても内容は変わらないが、シンタックスシュガーは重要だということだな。
ところで、生涯雇用と右肩上がりの収入を片方に置かないとバランスがとれないと思うが、そういうことではないのだろうか。でも、そういうスタイルは否定されていたような気がするのだ。だって私の髪は長いもの。
今更、おれが読む本でもないしと思わないでもなかったけど、読んでみるものだ。おもしろかったし、参考になった点もあった。
全体としてはゲームを作る本で、BC++をCで使うことを前提にしている。なぜBC++と大きい疑問を感じたけれど、エラーメッセージの適切さが理由のようだ(とは書いていないが)。
で、ゲームを作るというのはどういうことかという読み物ふうのエピソード(著者の方は光栄に勤めていたらしい)が来て、企画とおおざっぱな仕様が来て、では実装していきましょうと話が続く。
で、リストをその通りに打たせるわけだが、タイポもあれば型エラーもある。コンパイルすればエラーになるので、こういうことをすることこういうエラーになる。その理由はこれこれです。修正するにはこうします。つまり、これこれするときには、こうしなければなりません、という調子でおまじないとは言わずに、書き方を説明していく。ゲームを題材というか教科を進めるためのエンジンにしているけど、ゲームプログラミングの本というわけではなく(ただ、ユーザビリティなどについてのある意味実証的な解説が入ったりもするし、プログラムを拡張していくためのユースケースはゲームのシナリオにそって出現する)あくまでもCの入門書だ。最終的には、ダンジョンのマップを格納する2次元配列が出て来て、位置情報から移動の可能性を求め、構造体を利用してキャラクタデータを保持して、さらには当たり判定をして、最後はポインタを利用することでグローバル変数の利用を抑制できることやスコープについて解説して終わる。流れを追うと実は正攻法だ。
結局、おれには迂遠だが、こういうのもありだろうなと思うし、学習の流れのつけ方には感心した。口調も良いし適度に脱線したりするところが妙にリアルなのだが、著者の経歴をみると専門学校で教鞭を取られているようだから、そのあたりから身につけた呼吸なのかも知れない。
名前付きパラメータがえのさんの指摘のように不幸なことになるのは、位置によるパラメータと一致していることか、または仮引数名を集合として書けないことによると思う。
名前付きの名前を次のように書ければ、おそらく問題とはならず(実装は面倒だとは思うが)、位置によるパラメータとも矛盾しない。
名前付き引数が呼び出し側からみた場合に便利なのは、インターフェイス定義からテンプレートが自動生成できることや、ソースコードの自動生成する場合に与えられたパラメータを仮引数名と関連付ければ済む(不足している場合に位置を意識しなくともかまわない)ことだとは思うが、こればっかりは使っていないのでわからないけど。(Excelのようにパラメータが無駄に50個くらいある場合には、確かに必要な引数だけ用意すれば良いので便利だとは思うが(ある意味では、引数の指定方法によるポリモーフィズム(逆転しているけど)と言えなくもない。同じメソッド名が指定した引数によって処理の意味が変わるから)、現在のVBアプリケーションに必要かというと怪しい)
10:30開演に対して10:00くらいに行ったらすさまじい混雑っぷりで階段の下まで行列している。が、良く見ると客層がなんか違うっぽい。若者でいっぱいで子供連れがいないし。聞いたらシネセゾンのほうだった。で、松竹のほうはがらがら……と思ったら、最終的には満員になってたけど。
原作とは相当異なる。ピーターの冒険主義。プログラムで監督が言い訳をしているのを読んだが、年齢を嵩上げしているのが全体に影響しているようだ。良くもあり悪くもあり。演技がどこまで可能かとか考えると良い選択だったのかも知れないとは思う。おそらくライオンと魔女よりさらにうまい映画に見えるのはそれがあるのかも知れない。
森が動く、この世の終わりだというマクベス的なところもなし。(最初からマクベスにしようとしたわけじゃないだろうけど、どうオチをつけるか構想しているときに、英国人だから当然の教養として持っているだろうマクベスとの類似性にふと気づいて、にやにやしながら書いたのではないかとかいろいろ想像してみる)
しかし、リーピチープの作り方は、瀬田貞二のある種ドンキホーテのような古風な言い回しを使ったおもしろさはないものの、テンポ良いセリフ回しとそれに見合った素早い動きとあいまって、えらくうまい。というか、小学生のころに読んだナルニアの記憶でいちばん印象に残っているのがリーピチープ(あと、確か魔術師のおいだと思ったが、別れのあたりとか)なのだが、やはりこの物語の白眉シンだな。
映画としてはライオンと魔女より物語をいじくったせいも多分にあるだろうが、さらに良い感じで無駄な説明調もなく観ていて楽しかった。ライオンにはうんざりさせられるが、これはしょうがないだろうな。
1960〜1970年代の児童文学ではあたりまえの言い回し(リーピチープのせりふ回しは別)が、日本語がヘタ扱いされるのは興味深い。50年もたたないうちに言葉が変わるということだな。なんてことがわかるのも、インターネットのおかげというものだ。
その一方で、閉じていない多態は本質的に軽量です。インターフェイスに関する情報は、キーボードから入力する必要も、コピー&ペーストする必要もありません。ともあれ、それは実装されたコードの中に暗黙のうちに表現されています。それに加えて、型チェックを「怠惰(lazy)」に行います。C++のテンプレート(つまり、閉じていないパラメータによる多態)の場合、型チェックはテンプレートをインスタンス化するときにはじめて行われます。Smalltalkのような閉じていない多態の場合には……(後略)
この本の後書きについての言及をNyaRuRuさんがされていたが、当初予定していた出版社からキャンセルされたところを翔泳社の古田島さん(コンピュータ関連本の人なのかな)に救ってもらったとか書いてある。厚いし値段も内容も高いけど、参考文献リストだけで30ページある本が、日本語化されている点にも価値があると思う。
インテンショナルプログラミングをインデンショナルプログラミングと空目して、どうしてここでPythonが出てくるのかと不思議に思ったり(出てこない)。
_ バヤデール牧阿佐美のラバヤデールを観に、新国立劇場。B席だからどうかと思ったが、むしろ全体が良く見えて良かったかも知れない。
ドンキホーテもそうだが、ミンクスって作曲家はすぐ忘れてまったく印象に残りもしないが、その場その場ではとても印象的な良い曲を作る。とつくづく思いながら序曲が終わると、いきなり半裸の男が火の前に座っている。
なんかアラビアのほうの話かと思ってたら、インドなのか。とはいえ、まったくインドとは関係ないお伽噺の世界ではある。で、兵隊が6人、あとから生かしたあんちゃんが飛び跳ねながら登場する。で、息もつかせぬまま引っ込んで代わりに服着た僧侶が出てきて、親分が出てきて、踊り子が出てきてちょっと踊って、ベールを被った真打ち登場。ベールがうまく取れなくてどうなるかと思ったが、ぎりぎりのところで取れて踊り始まる(そういう演出なのかな)。
お話はひどい話だ。踊り子は黙って男を取られて泣き寝入りのようなやわいやつじゃなく、ナイフを振り回して太守の娘に襲いかかるし、好きでもない男の言うこと聞くくらいならあっさり死んでしまう。で、呪いのおいでおいでをして寺まで破壊するわ、最後はよもつひらかさへ男を連れて行くのかなぁと思わせながらあっさり振り切って置いてきぼり。
でも、びっくりするくらい優美な踊り。ウクライナの人らしい(ザハロワ)。男(マトヴィエンコ)もくるくる良く回る。リフティングもきれいに決まり、見事なものだ。
ただし、おきまりの白いバレエ(どこがインドなのやら)はやはり退屈で意識を失った(白いバレエの部分で最後まで弛緩なく観ていられたのは今のところ白鳥の湖くらいだな。音楽の差だ)。最初次から次へとわいて出てくるところで32人も出てきて、なんか、親猫のあとから仮面ライダーが1号、2号、V3……みたいでおもしろい演出。きっと8×4だろうと思ったら本当にそうなった、でもカーテンコールは12+10×2。
途中退屈したけれど、全体としては優美で(エキゾチックかなあ? 金粉ショーの神像には度肝を抜かれたけど。どういう魔法なんだ)バレエらしいバレエ。主演の2人が良かったのだと思うが、これは再演したらまた観たいな。
_ 無知と退屈上のやつで思い出したが、なぜ白いバレエで退屈するかというと、おれが未だにバレエの文法をちゃんと知っていないからだ、ということだ。だから音楽が良ければ観ていられるが、そうでないと脈絡が取れないので退屈するのであった。
音楽もそうだが、伝統芸術には伝統が続いた分だけ、複雑な文法が構築されているので、それを知っているか知らないかで、相当なインパクトとなる。伝統芸術ではなくとも、そこらじゅうで見られることだ。
それを知的好奇心の有無で切り分けるのも無理があって、おそらくぎりぎりのところでは、生存戦略で決まるのだろうな。
でも、興味がないものについては、そんな文法をわざわざ覚えたくはないのであった。バレエについてはこれだけ観るようになると、そしてそれが嫌でもなんでもないのだから、そろそろまともに知っておくべきかも知れない。
ランジェ公爵夫人が素晴らしいのは、バルザックがまさにそれをしているからだ。優雅で文字通り貴族的で、つまり何も生まず、発展もせず、ただ単に時間だけを消化していく恋愛遊戯を、革命の申し子、神権の否定者、現代人の始まりのような連中が、ばっさり切り捨てて、死と恐怖が常に背後にある現実を仮借なく見せつけること、それが実に鮮烈に描かれていることだ。楽しそうに。足取り軽く。
_ GUIマルチスレッドツールキット先日言及したグレアムハミルトンのだけど、新丈さんが翻訳してくれたので、日本語でも読めるようになったわけだ。Failedが変わっちゃったけど、まあいいや。あと、WikiName付けるとき何か夢をみていたようでタスキングしてしまったけど。
ここで彼がなぜムリかという理由として、上から下と下から上の同時多発呼び出しでロックがむちゃくちゃ難しくなるということを挙げていて、それは実感として正しい。
たとえば、あるスレッドで動くアプリケーションがボタンを押されたことをシミュレートしようとする。すると呼び出しは、APL→ツールキットフロントエンド→コントロール(ウィジェット)→描画オブジェクト→描画プリミティブ→描画ドライバというような道筋をたどる(そんないっぱい描画なんちゃらがいるかどうかはおいておいて)。
マウスドライバ→入力シグナル→マウス読み込み→コントロール→描画オブジェクト→……を行ってかつ、→ツールキットフロントエンド→アプリケーションのマウスイベントハンドラ呼び出しが起きる。
ここで、上から下へのロックと上から下へのロックが同時に起きることがあり得るために、デッドロックが生じる可能性がある。
似たような入出力モデルを持ちながら、そこまで破綻はしていないツールキットをおれは知っている。みんなも知っている。
Webサーバーだ。つまり、入力イベントはサーバーソケット一本と、多数のクライアントソケットを利用したモデルだ。
何が異なるかというと、アプリケーションから下向きへ進むのは、ピアとなるクライアントソケットに対してであってサーバーソケットではない。
ここで、サーバーソケットをマウス入力、ボタンコントロールの描画をクライアントソケットと考えてみる。すると、確かに見た目同一のボタンに対するマウスイベントによるプッシュと、アプリケーションによるプッシュが同時に発生する可能性がある点が、ソケットとは異なることがわかる。
わかるのだが、この場合に必要なロックはボタン描画の箇所だけで良いのではないか? 入力と出力はコントロールの異なるリソースの利用となるはずで、かつ同時多発があり得るのは出力だけで、それだけならばデッドロックとはならない。
でも、高々デュアルコア程度のデスクトップマシン用アプリケーションがマルチスレッドで一体どうするという気もするのであった(プリントタスクなら外で動けばよいし……インクリメンタルサーチをどう実装するかを考えれば良いのか)。
ボーカルが聴き取れるようになったせいで(うまくなったのか、録音方法を変えたのか)、相当気恥ずかしい感じ。高校生のころに聴きたかったね。気持ちの良い、いい曲だ。
うまくインストールできているところから、そのファイルをコピーして(インストールされたファイル情報が入るテキストみたいだ)やった。
で、あらためてセットアップを走らせたら(アンインストールはやめ)、修復か、追加/削除か、とか聞いてきた。そこで追加/削除で、VC++だけ残して実行して、今度は無事インストール完了が出た。
とりあえず、わかっているものをここにメモ。ムックだから正誤表とか出ないだろうなぁ。(追記:編集の方に連絡したら、出していただけるとのことでした)

 

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