プロミスのサイトです。
理想 社会 広島 情報 医療 朝日 株式会社 ください 先頭 営業 グランプリ 紹介 個室 3月 少女 リアル 干し 方法 武富士 借り入れ 営業 医院 用語 ジャパン 選手 行え クイック 世界 青山 今期

悲観とは?/ プロミス

[ 151] なんでも悲観的に考える人と、なんでも努力すれば何とかなるという人 - 分裂勘違い君劇場
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070302/1172796912

オプティミスティックな気分の人は、努力すればなんとかなるという証拠をあげつらい、理屈をこねる。
ペシミズムの色眼鏡をかけた人に対して、オプティミズムの色眼鏡で見た世界観を語っても、心に響かない。
オプティミズムの色眼鏡で世界を見ようとする人のブログには、オプティミズムの色眼鏡で世界を見たい人が集まる。
同時に、実際には努力次第で結構何とかなるという状況にいるのに、努力してもどうにもならないと思いこんでいたり、努力しない自分への言い訳をしているだけの人もいる。
だから、人の心は、その苦しさに耐えられず、(B)現実・真実・事実を見極めたいとは思いつつも、結局、(A)ペシミズムかオプティミズムかのどちらかに堕落し、逃げ込んでしまう。
そして、その結論に基づいて、全ての世界解釈を積み上げ、信念を固め、人生の戦略を作り上げてしまう。
死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ、ということを、僕はいまも相変わらず言い続けたいのである。
オプティミスティックであろうと、ペシミスティックであろうと、意思の有無に関係なく、死も病も、超えられないときは、超えられない。
そして、希望の可能性を十分に吟味せずにペシミズムの殻に閉じこもることが不健康であるのと同じように、絶望しきっていないオプティミズムには、軽薄臭が漂う。
たとえば、オプティミストがオプティミスティックにロングテールのすばらしい可能性を語ると、どうしても軽薄臭がつきまとう。
ロングテールがクソの役にも立たない可能性、ロングテールがむしろ過酷な現実をさらに過酷にする可能性を徹底して見極めた上で、それを乗り越えて広がるロングテールのすばらしい可能性の指摘をし、その双方をさらに懐疑的に掘り下げる視線があって、ようやく軽薄臭が脱臭されはじめる。
「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ
このオプティミスティックな姿勢は、まさに、世の中をなんでもペシミスティックに捉えようとするペシミストたちの姿勢と鏡像をなす。
結局のところ、Web進化論の読者のほとんどは、Googleのような輝かしい成功とは無縁のまま年を取り、朽ちて死に、何兆年たとうが、二度と再び喜ぶことも悲しむことも空を見上げることも呼吸することもない。
その成功があったということ自体に意味を見いだそうにも、やがて宇宙が熱平衡に達してその成功があったということを覚えている人間もいなければ、それが存在したという記録もどこにも残らない。
成果主義、結果主義という言うけれど、あらゆる努力、創意工夫、イノベーションの究極的な成果は、等しく虚無なのだ。
そして、その徹底的な絶望と無意味さを真正面から直視したうえで、自分を取り巻く世界や自分自身を肯定し、絶望の地平線の向こうに輝ける生命の大地が隆起するのを見る人もいれば、過酷な現実に打ちのめされ立ち上がる力を失う人もいる。しかし、それは、ただただその個別具体的な人間が「感じる」「する」というだけのものだ。そこには絶対的な根拠などありはしない。あらゆる意味も価値も、個別具体的な人間の気分や感覚のみから生じ、それ以外のいかなるところからも生じないのである。このような絶対的な無意味に対して意味を見いだすのは、どこまでも個人の感覚や選択の問題でしかありえない。そう感じる人は根拠もなくそう感じるし、そう感じない人は根拠もなく感じない。そして、それで全てなのだ。それは、人に勧めたり勧められたりするような安っぽいものではないのである。
だから、そのような徹底的な絶望の味と香りがないまま、「意志することが正しく意味がある」ということを軽々しく無条件の前提としてしまうようなオプティミスティックな論調は、野草のアクやエグミや毒が完全に抜けてしまったインスタントラーメンやコンビニ弁当のような、口当たりがいいけど、自然の野菜に本来備わっている青臭いけど野性味のあるあのなんとも言えない生命の味が足りないように感じられてしまうのだろう。
「真実性を求めて分析・洞察した結果、みなが幸せになれる、政治的に正しい結論になりました」というパターンのブログ記事
ここは極論を楽しむ劇場です。プロフィールページをよく読んで、真に受けたり鵜呑みしたりしないように気をつけてご鑑賞ください。

 

[ 152] 悲観主義とオプティミズム - My Life Between Silicon Valley and Japan
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070228/p1

一週間東京に行って帰国したところ。これからしばらく寝たり起きたりで、消耗しきった身体に体力が戻るのを待とう。今年二回目の東京だったが、こちらに戻ってくるとすべてのモードが全く変わって、ブログを書く力もようやく沸いてくる。
ある日、東京で気のおけない親しい友人たちとオプティミズムの話になった。「ウェブ進化論」のオプティミズムを誤解する人が多いね、という話がよく出るが、その日もそんな話になった。オプティミズムとは、生来人間は素晴らしいものなんだから「世の中、ほっておいても何とかなるさ」みたいな呑気でいい加減な考え方とは全く違うものだ。オプティミズムの本質を全く理解せぬまま、オプティミズムはけしからんと言う人が多いね、というのは僕もよく思う。
ところで別の友人との集まりで、話がなぜかそちらのほうに流れ、アランの「定義集」の話になった。僕が敬愛してやまない森有正(ぼろぼろになるまで読んだ四冊の本)は、哲学者アランを師と仰ぎ、ライフワークの一つとして「定義集」を翻訳した。
僕はこれまでにたくさんの本を読んできたが、内容を記憶するという習慣がなく、そのときどきの人生における喫緊の問題に何か指針を得たいという一心で、そのときどきの自分が欲している信号を求めてさまようような読書をしてきた。精読して知を溜め込むということにはいっさい興味がなく、生きるために飲む水を求めるような読書と言えば近いだろうか。アラン「定義集」も過去に何度か読んだが、その内容を記憶していないため、読み返すたびにかえって新鮮だ。学者先生たちの本の読み方と、我々市井の人間の本の読み方は全く違っていてよいものだ、といつも思う。記憶には残っていなくとも、生きるうえで強く影響を受けることができれば、それで十分だ。
シリコンバレーに戻って、ベッドに横たわりながら「定義集」をぱらぱらと開いていたら「悲観主義」という項があるのにぶつかった。
哲学者アランにとって、定義への試みはその出発点であり、目的であった。簡潔さ、厳密さに到達した定義は、静かな力づよさを獲得する。これはアランの一生の仕事であった。(中略) アランが本書で表した210語の定義は、ものとことばと思想との関連をみごとに示した実例である。
シリコンバレーにあって日本にないもの。それは若い世代の創造性や果敢な行動を刺激する「オプティミズムに支えられたビジョン」である。
全く新しい事象を前にして、いくつになっても前向きにそれを面白がり、積極的に未来志向で考え、何かに挑戦したいと思う若い世代を明るく励ます。それがシリコンバレーの「大人の流儀」たるオプティミズムである。
もちろんウェブ進化についての語り口はいろいろあるだろう。でも私は、そこにオプティミズムを貫いてみたかった。これから直面する難題を創造的に解決する力は、オプティミズムを前提とした試行錯誤以外からは生まれ得ないと信ずるからである。(p246)
オプティミズムとは、まったくもって「意志」の問題なのである。死や病を免れ得ない人間にとって、悲観主義こそ「自然」で「生来」なものなのであって、オプティミズムとはそれを超えていく意志のことなのである。「これから直面する難題を創造的に解決する」ためには、我々一人ひとりがオプティミズムという「意志」を持つことがどうしても必要不可欠なのだ、ということを、僕はいまも相変わらず言い続けたいのである。
2007/02/28 20:25 そのとおりですね。オプティミズムという「意思」の重要さを意識したいものです。「意思」が無いと、楽観主義もただの「ナントカなる」主義になってしまいます。あえて楽観主義と言わずにオプティミズムと表現したところが、さすが、です。意思のあるオプティミズムを感覚的にも表現する良い日本語はないものですかね。
2007/03/01 04:14 Mochioさんの、この考えに大賛成!(軽い表現で恐縮です。)でも、今の日本、いや世界も、この意志的な楽観主義で、切り開き乗りこえていかなければ、やっていけないですよね。先日、アカデミー賞受賞でも話題をさらったアル・ゴア氏の「不都合な真実」を観ましたが、まさにこの意志的な楽観主義(どうにかなるというのとはまるで違うのです。)で、地球のかかえた温暖化をなんとかしようと呼びかけていて、なにより彼のその信念と真摯なパワーを感じました。これからの、キーワードだと、思っています。私も。
2007/03/01 08:22 意志をこめるという意味では「なんとかなるさ」ではなくて「なんとかするさ」って感じですね。(定義集の定義によるところの)オプティミストが追い詰められた時につぶやくセリフとしても、そちらのほうがしっくりきます。楽観主義はものごとを「楽に観る」わけですから、定義集の定義とは全然一致しないですね。物事の見方自体は、オプティミズムとペシミズムで違いがないわけですし。ここらへん、上手く伝える日本語が欲しいところですね……
2007/03/01 15:03 2匹の飼い犬達(高齢犬と幼犬)を観察していて、人である私の生きる上での究極の選択がオプティミズムだったのではないだろうかと考える。悲観主義者ではないけれど、小心者の自分は先見性があるねなどと言われるが、先読みしすぎて止めすぎるという傾向が出てきた。経験則からかわあオモシロイ発想やってみれば?などという進言があると尻込みして止めてしまう。やってみれば?に慣れていないのだ。常に寡黙に健気に果敢にオモシロおかしく生きているように見える犬達にも物事を悪く予測して防御しまくる高齢犬とリスクヘッジ出来ないけどプラス思考で明るくトライする幼犬は世代間ギャップのようなものかもしれない。私はマイナス思考することが多いけれど、ボロボロになるまで想像した結果にケセラセラという防衛策を自然に身に就けてしまったようだ。なので、ライプニッツは本来は悲観主義者で意志を込めて相反するところの定義まで辿り着こうとしたのではないだろうか?
2007/03/01 23:42 おっしゃる通り。頭が真っ白な分だけ、リスクヘッジが出来ていないので、勇気をださないといけないですね。問題が山積みでも、ちょっとでもやろうという意思が必要だと思いました。しかし、悲観主義(現状の認識=絶望)を通過しないと、満州移民や南米移民みたいになるような気がします。
あれくらいの長い年月を費やさなければ、これくらいの作品は書けないのだということが、また、この喜びを味わうための四十数年の助走であったということが実感された。(日経新聞4/20/08)
ぶっ飛んだ小説を、原始的で、呪術的で、異常なまでの吸引力を秘め、それでいながら格調の高い大叙事詩のごとき長編小説を無性に書きたくなった。膨大な資料を読みあさりはじめたのが二年ほど前だった。そして、昨年の暮れに千三百枚を脱稿した。(日経新聞4/20/08)
日本が最も日本らしく、底抜けに自由で、生き生きとしていた室町時代を背景に、かの有名な「日月山水図」の屏風絵と、それを描いた作者が不詳であることを想像の起爆剤に用い、極めて大胆な発想によって、小説の原点とも言うべきめくるめく物語を構築し、かつてどの書き手も為し得なかった形式と、漢語と大和言葉との融和を図る文体を存分に駆使しなければならない、新境地だった。六十代に入ってまもなく、今ならそれが書けるという自信を得た。(日経新聞4/20/08)
四十代後半に狙いをつけた長編小説があった。テーマも構想も充分だったが、敢えて書かなかった。なぜなら、その大空を飛翔するだけの翼の力が具わっていないという自覚があったからだ。(日経新聞4/20/08)
「塞翁が馬」という故事がある。(略) このように人生の吉兆や禍福は簡単には定めがたいことを、述べたものである。私の場合もその通りで、当座は不運と見えたものが長い目でみると、むしろ幸運だったと思う場合が少くない。この年まで生きながらえると、人生は最後まで勝負の決まらないマラソンのようだとつくづく思う。(日経新聞5/1/08)
私は五十歳近くなって物書きになった。終列車の最後尾の車輌に飛び乗って、やっと間にあったという思いであったが、それも、考えようによっては、不利とばかりはいえなかった。(略) 柳田の弟子たちの間には、柳田批判を許さない雰囲気があった。(略) しかし時は氏神である。(略) その頃になると、柳田の威を借りた弟子たちの力もおとろえ、黙殺されることなく、かえって賞賛される始末であった。(日経新聞5/1/08)
才能を磨かず、才能を育てずして、注文のまま書きつづけていると、けっして卵や雛以上には成長せず、時間の問題で朽ち果ててしまうのは自明の理である。(日経新聞4/20/08)
こんな手はいけないという心理的なくびきがなくなり、新手に挑む気風が将棋界に広がっている。もう出ないと思っても新戦法は現れる。将棋は奥が深い。(日経新聞4/8/08)
タイトル戦を見て、これはいい手、これは悪い手、あーだこうだと言うのは楽しいのですが、集中度、真剣度が違う対局者の読みに勝てないことはわかっているので、虚しさも感じます。「負ける」という恐怖がある対局時と、気楽な観戦時では考える手や、感じ方が全然違ってくるので、仮に実戦より優る手を見つけたところで、あまり意味を持ちません。(渡辺明ブログ3/28/08)
国際的なコミュニケーションで大事なのは、意味がある言葉を話せるかということである。この基礎は母国語のなかでどれだけ「意味の含有率」が高い言葉を構成できるか、という能力にかかっている。(日経3/25/08)
序盤から読み合って、その都度折り合って、シーソーの水平を保っていたが、ここで均衡が崩れてしまった。水面下の押し引きで、時間も気力も体力も少しずつ削られ、正直バテた。藤井さんを含め、上位棋士の真の強さはこういう部分にあると思う。(日経3/19/08)
昨日の将棋、試しにボナンザ先生にお伺いをしたら、僕が間違えた局面2つで、先生はピタリと正解手を示されました。昨年3月の凄腕コンピューターではなく、家庭用パソコンでの先生の読みに負けているようでは、楽観うんぬんという問題ではないかもしれません。(渡辺明ブログ3/22/08)
険しさ自体に変わりはないが、その中にドラマティックな場面が出てきたりする。そういう意味では楽しいという感じがする。将棋は5、6手進んだだけで、思ってもみなかった展開に変わったりする。その面白さはずっと変わらずある。(将棋世界2008年3月号)
以前、数学者という職業の人は周囲の人から「大変ですね」と言われてもピンとこない、何故なら当人にとってそれは遊んでいるにすぎないから、という話を聞いたことがあるんですよ。それって少し羽生さんに通じるものがあるなと思いました。羽生さんも考えること自体が楽しくて仕方ないのではないか、と。(将棋世界2008年3月号)
数学的に可能な局面をすべて並べて、片っ端から形勢判断をしてくれと言われたら、かなりの確率で答えられると思いますよ。(中略) でもそれをわかっているとは言わないでしょうから。全然わかっていない局面でどのくらいわかっているのかと問われたら、全然わかっていないのかもしれない。局面自体を把握できれば、正解も見つけられると思うんですけど・・・。羅針盤がきくかどうかというのは、ものすごく大きいんですよね (将棋世界2008年3月号)
先入観をもたない、ということです。(中略) 先入観をもたないで見るのは、なかなか難しいんですよ。先入観をもってみるほうが簡単だし、楽だし、しかも効率がいいんです。でも、先入観をもたないということは、一番大切なことだと思っています。(中略) それは逆に、年齢を重ねれば重ねるほど難しくなります。邪魔するものがいっぱい出てきますから (将棋世界2008年3月号)
(羽生マジックについて) 私自身がどうこうということではなく、将棋は”最後までわからない”ということが大きいのではないかと思います。終わりに向かって可能性が小さくなるゲームでは逆転は少ないでしょうけど、将棋は、常に可能性は低くならない。その意味で、将棋には”最後までわからない”という要素がふんだんに含まれています。だから、私がやっているからということではなく、将棋はそういうゲームなんだ、ということだと思います。たとえば囲碁は、終わりに向かって可能性が低くなります。(将棋世界2008年3月号)

 

[ 153] 凡庸かそれ以下しかない才能に悲観する前に | 住 太陽のブログ
[引用サイト]  http://www.motoharusumi.com/jobs/growth/ordinary_people_can_win.html

つい先日、CSS Nite in Osaka Vol.5 に登壇した際の最後に話したことなのですが、「凡庸かそれ以下の才能しかなくても、メシを食うくらいならできるよ」という話。僕の経歴の中にはそこそこ華々しく見える部分があり、そうした部分だけを見ると、なんだか僕は才能に恵まれた幸せな人のように見えなくもありません。プライベートで僕との関わりがなく、僕の仕事上の実績だけを見てきた人たちにとっては、僕という人は何か立派な人に見えてしまったりするのでしょう。
こうした実績だけを並べると、なんだか僕って、才能にあふれた人のように見えますよね。実際に「住さんは才能があっていいですね」などと真顔で言われることも少なくありません。
しかしこれらはあくまでも、表向きに(ある意味積極的に)公開している経歴であって、それ以外の部分に目を向けると、平均的な社会人よりもはるかに劣った存在である僕の姿もまた見えてきます。実際の僕は、凡庸な才能しか持たず、あらゆる意味で平均的な日本人よりも劣っていて、あまりにも矮小な存在でしかないのです。プライベートで長い付き合いのある人々にとっては周知のことですが、ここでその一例を公開してみましょう。
18歳から27歳くらいまでの約10年間はフリーターで、11の職場を転々とした。その間には正規雇用された会社も3社あったものの、いずれも短期間で離職
独立する直前に働いていた6社では、連続してすべて解雇(クビ)になっているほど、勤務態度や協調性に問題がある
Webの仕事で独立(27歳の時)した後も、それだけでは食えず、深夜のアルバイトは続けていた。本業が軌道に乗ってきたことを受けてやっとアルバイトを辞めた(というか解雇された)のは2001年、僕が29歳の時
2004年には事業を法人化するも、わずか1年ほどで解散の憂き目に。今も法人は存続しているものの、一人社長で実質はフリーランスという形態
今までにも何度か煩ってきた精神疾患が近年とみに酷くなってきており、今回の精神科受診は4年近くに及ぶ。症状は抑鬱と睡眠障害で、今も投薬治療で倦怠感や意欲の低下や抑鬱感と戦う毎日
さて、そんな僕がなぜ、どうやって、今のようにそこそこ認められる存在になったのでしょうか? もちろん、運もあったでしょう。間違いなく、僕は運がいい。それは確実なことです。特に僕は、人との出会いにおいてはあり得ないほどの強運の持ち主だと言っていいでしょう。しかし、運というものは、じっと待っているだけで訪れるものではありません。やはり、何らかのアクションがあって初めて、そこに何かしらのプラス要因が働くものです。
そこで、凡庸な才能しかない僕が、どうやって世間を渡ってきたのか、その方法というか心がけについて、3点ほど書いてみようと思います。僕は次に示す3つのことを実践することで、運をたぐり寄せ、今の僕を作ってきたのです。このエントリが、誰かの参考になれば幸いです。
宝くじは買わなければ絶対にあたらないのと同様に、動かずに結果だけがついてくることは絶対にありません。とにかく動き出すことです。そして、はじめの一歩というのは、勇気を持って果敢に第一歩を踏み出す、といった格好いいものじゃなくてもいいんです。追い詰められた結果、やむにやまれず踏み出した一歩であってもいいんです。
実際に、僕が今の仕事を始めたのは、交通事故で身体が動かなくなり、それまで従事していた倉庫内の作業のアルバイト(肉体労働)ができなくなってしまったことがきっかけとなっています。収入の途を絶たれて仕方なく、というのがその真相なのです。それまでにいくつもの職場で解雇されるという経験をしてきた上に、解雇されなかったとしても怪我で職を失った僕は、解雇されることも怪我で働けなくなることもない仕事を志向した結果、今のインターネットの仕事を自己雇用という形で行うという結論に行き着いたのです。僕は消去法で仕事を選んだのです。
こんなことは、決して格好のいいものではありません。さらに、どんなに贔屓目に見ても、その状況で起業したところで、成功など望むべくもありません。しかし僕は、なんとしてもフリーター生活から抜け出したかった。だから第一歩を踏み出したのです。しかし、その一歩は数年後の二歩目につながり、さらにその数年後の三歩目につながり、今の僕を作りました。どんなに格好悪くても、何もしないよりはましです。
もしこれを読んでいるあなたが、明日も、明後日も、来月も、来年も、10年後も、今と同じような状況の中で生活していくことに多少の危機感を覚えるなら、第一歩を踏み出す動機は十分です。新しいことにチャレンジして失敗することよりも、代わり映えのしない毎日を今後も歩んでいくことの方が、よほど失敗だと思えるからです。10年後に後悔したくないなら、今動き出すべきでしょう。
例えば何か新しいことにチャレンジしようとするとき、僕も含めて普通の人の頭の中には、きっと次のようなネガティブな思考(いいわけと言ってもいい)が渦巻いてくることでしょう。
並み居る先人たちのいる中で、すでに出遅れている自分がいまさら始めても、その分野の第一人者になれる望みは薄い
僕が思うに、新しいことにチャレンジしようとするときの最大の障害は「理想が高すぎること」だと思うのです。僕は、ギリギリでも食うメシを確保できればそれが成功、というくらいの低い目標を掲げて挑戦を始めました。でも、それはそんなに間違ったことではないと思うのです。まずはギリギリでもメシを食うことができるようになることから、すべては始まると思えるからです。初めから世界のトップを目指そうなどと考える方が間違っています。
どんな仕事でも、日本や世界のトップクラスを目指す、というのであれば、それはきっと恵まれた環境や才能がなくては難しいでしょう。才能に恵まれていない僕やあなたには、正直なところ難しいというか無理なはずです。しかし、ただ単にデビューする、それでメシを食う、ということを目標にするのであれば、そこに必要なのは才能というよりは努力であって、才能の無さやリスクの高さをいいわけにするようなものではないと思うのです。
例えば、ボクシングの世界ランカーになる、となれば、そこには人並み以上の努力に加えて、恵まれた環境や類い希な才能も必要になるのかもしれません。才能に恵まれていない人が世界ランカーを目指してボクシングジムに入門しても、自分の才能の無さに嫌気して早々に脱落してしまうのも、まあ当然のことでしょう。しかし、C級ライセンスを取得してプロボクサーになる、といった低い目標であれば、実現することはそう難しいことではないでしょう。年齢や視力、健康状態に問題がなければ、どんなに才能のない人でも、ほんの2?3年努力すればプロボクサーになることができます。
僕が思うのは、目標を高く持ってさっさと脱落してしまうよりは、身の丈にあった低い目標を掲げ、それを一つ一つ達成していく方が、遥かに容易で、才能にも左右されず、確実に成長を遂げていける道だと思うのです。デビューするだけ、その道でメシを食うだけなら、才能なんか必要ありません。必要なのは、達成可能な目標と、その目標に向かう努力だけなのです。今すぐ「俺には無理だわ」といういいわけを捨て「俺にだってここまでならできる」という目標を立てるべきです。
どんな人でも、それが仕事上のことであれ、趣味のことであれ、身近な集団の中でトップクラスと言えるスキルを持っているはずです。同僚の中で一番カラオケが上手い、とか、クラスで一番人を笑わせるのが上手い、とか、草野球チームの中で一番バッティングが上手い、とか、その他にも、美しいコードを書く、本を読むのが速い、絵を描くのが上手い、バグを見つけるのが速い、検索して目的の情報を見つけるのが上手い、などなど。
こうしたスキルは、自然発生的に身についたものではありません。生まれたときから美しいコードを書いていた、とか、生まれたときから歌が上手かった、などという人はいないのです。では、そうしたスキルをどうやって身につけたのか?
思い出してみてください。明けても暮れても、寝ているときも起きているときも、歩いているときも食事しているときも、そのことばかり考え、片時も離れることなくそのことに没入し、時間を捻出しては実践し、悩み、試行錯誤し、誰よりも多くの時間と集中力そのことに投入した結果、そのスキルが身についたはずです。そしてそのスキルは、今のあなたの仕事や趣味や人間関係を支えてくれています。
逆に言えば、何か新しい技能を身につけようとする場合、そのことだけに集中し、没頭し、まとまった多くの時間を投入することが、何よりも重要だと思うのです。忙しさにかまけて何も行動を起こすことなく、漠然と「あのスキルが身についたらなあ」などと考えているだけでは、絶対にものになりません。今あなたが持っているスキルを身につけたあのときのように、とにかくそれに没入すれば、世界のトップクラスの実力が得られるなどということは不可能かもしれませんが、それでも、身近な集団の中でトップクラスのスキルは得られるものです。
いかがでしたでしょうか。類い希な才能に恵まれた人なんて、そうたくさんいるもんじゃありません。むしろ、大した才能もないような絶対多数の人たちが、努力によって何事かを成している、というのがこの世界の実情だと僕は考えているのです。馬鹿で結構。無能で結構。凡人で結構です。僕たちもボチボチやっていきましょうよ。
住太陽さんがブログで「凡庸かそれ以下しかない才能に悲観する前に」というエントリーを上げておられました。

 

戻る

プロミスのサイトです。

プロミスのサイトです。