性的とは?/ プロミス
[ 143] 近親者/顔見知りによる性的虐待
[引用サイト] http://www.sweetnet.com/childabuse.htm
すずらんさんの書き込みをきっかけに、性的虐待が子どもたちの実に身近で起こっているということがわかりました。「もっと危機感を持ってください!」というだいちさんの書き込みをきっかけに多くの方の怒り、悲しみ、屈辱・・・とても一言では言えない体験談が書き込まれました。 はじめまして!!!5歳の娘の友達の事で悩んでいます。この町に引っ越してきてから、1ヶ月近くになります。前住んでいたAPTではまったくと言って良いほど、周りに友達がいなく、遊ぶと言ってももっぱらPre−kぐらいでした。ここに引っ越してきてから、大分友達も出来てきて、楽しく遊んでいるようです。 今日ここに投稿させていただいた理由はその娘の9歳になる友達の事ですが、毎日学校の帰りに家に遊びに来ています。これ自体は問題はないのですが、今日なんと娘にお腹をなめてと言ったそうです。5歳の娘にはモノの善悪の区別がなく言われた通りにしたそうですが、なんの為にその9歳になる女の子が娘に言ったのかが理解出来ないのです。他にキスの話題とかを出しているみたいなんです。 他に5歳の女の子の友達が出来たのですが、なんとその子は9歳の女の子の家の隣に住んでいるので、必然的に一緒に遊ぶ事になってしまいます。主人とも毎日頭を悩ませています。何の悪気もなくやっている事なのか、それとも、意味があってやっている事なのか?!その9歳の女の子と友達をやめるとしたら、今度は仲良くなった5歳の女の子とも友達をやめあくてはいけなくなりそうで・・・・親が友達を選べないって事も十分分かっています。もし良かったらいいアドバイスを頂けますか????一応主人との会話で今度隣に住んでいる5歳の子の両親に相談してみようという結論が出たのですが・・・・アドバイスを頂けると恐縮です。よろしくお願いします。 小さな子供は年上のお兄ちゃんお姉ちゃんを慕います。その子供たちにとってその小さな子は操縦しやすく自分のいいなりになるのでおもしろいように使います。すべての子供がそうだとはいいません。でも、そうゆうサインや行動が見えたときにはもっと危機感を持ってほしいです。と、いうのは私の子供が同じようなことを経験したからです。 いつものようにままごとをしている当時4歳の娘がその日はママの役だったようで近所に住む男の子と女の子と遊んでいました。うちのお庭でテントをはって遊んでいたのですがおやつをもっていってびっくりしました。男の子のおちんちんを口に入れろと強要されているのです。私は止めて話しを聞きました。(男の子は9歳、女の子は7歳)本当は殴ってやりたい気持ちでしたがまずは話しを聞こうと思いました。男の子のお父さんはアメリカ人でお母さんは日本人です。男の子の話によると、アメリカではなんでもオープンにするので両親がセックスしているところも見せるというのです。そんな馬鹿なと思いましたが実際にやっているのですから。女の子は日本の家庭の子でしたがその男の子と小さいときからの幼なじみで普通だと思っていたらしい。 でも、なんとなく気が引けて親にはいえなかったそう。私は、夫にも話して一緒に男の子の家庭にも女の子の家庭にも行きました。ご両親は気づいていなかったようですが、びっくりしたのはアメリカ人のだんなさんの態度です。いずれしることだからいいじゃないかというのです。性教育は大事だ、アメリカではみんなそうしていると。奥さんもアメリカナイズされているのかいえないのかその場では何も言いませんでしたが後日菓子折りをもって謝りにきました。一方、女の子はこのことで両親も傷つき(自分だけじゃなく他の子供にも教えていたとか)大変だったようです。引きこもりになってしまい(自分がやったことがおかしいから私は頭がおかしいと言い出すそうです)5年たった今も傷はいえないようです。男の子はどうなったのかはわかりません。軍隊の転勤?でいつのまにかいなくなりました。 性教育は大事です。親の教育によって違うということを痛感しました。こうゆうことをする子供の親はやっぱりちょっと違うのかもしれません。うちの娘は今、9歳になりましたがちいさい時の記憶とはいえ心に残っているのか外国人を毛嫌いし、学校にいるハーフの子供をいやがるのです。そしていまはよくなりましたが男の人と、父親をみると泣き叫びました。1度ひどい勢いで「混血って頭がおかしいの」と言ったのでぶったことがあります。(何かで覚えたらしいんです、この言葉も)差別はいけないと教えていますが、心の傷がいえるまでしかたがないんだろうと思います。(週に2回心療内科に通っています) こうゆう子もいるんだということだけでも知らせたくて恥を承知で投稿しました。気分を害された方がいらっしゃいましたらごめんなさい。傷がどれだけの波紋を呼ぶか知らせたくすべて書きました。 娘が、なぜひどいことを口にするようになったのかなんですが。当時妊娠していた私が早産したからなんです。性別もわかっていて名前を娘が決めて喜んでいたんです。それをその事件をみて1ヶ月後に早産したからなんです。自分のせいで赤ちゃんがこなくなったと毎日なく娘になんとか姉妹をと思っても早産が原因でできなくなりかわいそうな思いをさせています。もうすぐ8ヶ月というときでした。私もそれからは心療内科にも通いました。あの出来事は私達家族にとって本当にひどい出来事だったのです。娘は、それを自分のせいからその男の子そしていまではあのようにいうまでになったのです。だれのせいでもないよといっても、妹を失った悲しみは大きかったんですね。いとこをさわろうともしません。(弟の子) 投稿を読んで、私の心の中に警告の赤旗があがったので、投稿させていただきました。(こういう場で、断定的ないい方をするのは私は普段避けているのですが)これに関しては、ハッキリと、その女の子と遊ぶのを、やめさせるべきではないでしょうか。正直言って、9歳になっている子供が(3年生ですね?)5歳の幼稚園の子供と毎日のように遊びたがる、ということがすでにそもそもおかしい(というと多少語弊があるでしょうが)のです。本来であれば、この年になれば、妹の友達とか、そういった理由がなければ、同年代の子供ともっと遊びたがるはずです。 この年齢でこういう行為を行うと言うのは、何らかの理由で(たとえばだいちさんの投稿のように、親の性行為を、幼いながらに毎日見せつけられているとか)、自分でも押さえきれない衝動をACT OUT(アクト・アウト、という心理用語は日本語ではなんと言うのかよく知りませんが・・・衝動を、行動にして現してしまうのです)しているので、本人には罪はないのですが、簡単に、やめてね、と言われて、やめられる、というものではないと思います。残念ながら、 本人がいい子であるとか、そういうことはあまり関係がないのです。またお嬢さんにもハッキリ、「あの子は悪い子ではないけれど、あの子のしたことはお母さんにとって、受け入れられないの」ということにより、お嬢さんも逆に安心するのではないでしょうか?その5歳の女の子の親に事情をハッキリ話し、お宅のこと遊ぶのはよいが、その9歳の子と遊ばせたくないのだと、私ならハッキリ伝えます。相手の気持ちを考慮すること、近所づきあい等などは、とても大切なことなのですが、このケースに関してはあえて、一時的に友達を失うことと、お嬢さんに一生消えない傷を追わせるかもしれないリスクを背負うことと、どちらが深刻であるか、量りにかけて、お考えになってください、というのが私の意見です。実際、似たようなケースは日々、私の周りで起こっているからです。 友達は、この年齢でしたら今後いくらでも出来ます。この子と、あえて遊ばせる必要は、なにもないのです。親に対しても、ご主人とともに相手の家に赴き、きっぱり遊ばせられない理由を話すべきでしょう。だいちさんのご経験のように、相手のダンナが「アメリカでは。。。」というようなデフェンシブな態度を取るかもしれませんが、私はこういう時「アメリカでは」とか「日本では」というような反応をする人間が、非常に不愉快です。常識のある親なら取るであろう行動が、世界的にそう変わろうとは思わないし、ましてやその家庭の性教育がどういう方針であろうと、他の家庭の性教育に大きく水を差すことが許されないのは、、欧米人ならもっと理解できる筈でしょう。私なら、「アメリカでは訴えられる話ですよ」と言ってやりたいくらい、腹が立ちます。きついいい方だったら申し訳ないですが、他の皆さんのおっしゃるよう、これは危機感を持つべき話だと、私は思います。 だいちさん、大変な思いをなさったのですね。しかし、心療医にかかっているということは、大きな癒しへのステップです。しかし、大きな傷であればあるほど、消えるのも時間がかかります。どうか、娘さんもお母さんも、ゆっくりと心の傷を癒していかれますように・・・ みなさんありがとうございます。私達があの事件の頃、この掲示板をしっていたらと涙が出ます。すずらんさんは、私の話読んでいただけたでしょうか?子供をこんな目には絶対にあわせてはいけません。すずらんさんの話題の中で私が励まされるのもおかしいのかもしれませんがみなさんにお礼が言いたくて。 ジャムさん、ありがとう。アメリカ人がみんな同じような考えだと私達夫婦も考えているわけじゃないんです。私もたったひとりのアメリカ人のためにアメリカ人すべてがこうゆう考え方だといわれたのには憤りを感じます。性教育はその家庭で違いますしみんな一緒とは思いません。日本人ママさんについては、詳しく書きませんでしたがあとで菓子折りを持ってきたときにも「アメリカでは誘惑するほうにも問題があると裁判する。おたくのお嬢さんに問題があったとは考えられないか?」など信じられないことを言われました。だんなさんに逆らえない状況だったのかどうか私にはその言葉では判断できません。ただ、夫の仕事の関係上いろいろなひとにあいますが日本を離れて日本人離れしていく人もいれば日本にいたときよりも日本人らしくなったひと、外国人でも日本的な人に会います。それも個性だと思っています。奥さんは柔らかい口調でもっとひどいことを言いました。だんなさんが、「どうせ、あんたが妊娠しているのはこうゆうことの結果だ。否定するのか?」という言葉、いまも思い出しますがこれを思うと涙が止まりません。それで流産したのかもしれないと、一時期おかしくなりました。ジャムさんのご主人もアメリカ人なんですね、アメリカ人だからといって性行為を子供に見せるわけがないと私も思っています。 まりあ@USA さん、ありがとうございました。たしかに9歳の子供が5歳の子供相手に毎日遊ぶのはおかしいです。何かあるとしか思えませんね。普通だったら面倒だっていやがるものです。姉妹だってそうなんですよ。私の話の中の男の子はほかにも問題を起こしていたそうです。この話をするとわかってしまうのかもしれませんが(お母さんがこのHPを見ているかもしれない)児童相談所につれていったほうがいいといわれたことがると言っていました。(お母さんが)ただ、だんなさんが男はそのくらいのほうがいいと喜んでいたとか。お母さんもただ、わんぱくなんだといっていました。たしかに本人には罪はありません。でも、一緒に遊んでいたもう一人の女の子はいつもしていたようです。もちろんセックスもです。ちいさいのに?と思うかもしれませんがそれは大人の言い分で、体は機能しているのです。婦人科でわかったらしいです。そのお嬢さんが引きこもりになってしまったのはこのことが原因だと思います。親の対処方法が悪かったのかもしれません。理解できる年齢だからとどうしてそんなことをしたのか?=私は悪い事をしたと毎日泣きつづけたそうです。 ハッキリ、「あの子は悪い子ではないけれど、あの子のしたことはお母さんにとって、受け入れられないの」ということにより、お嬢さんも逆に安心するのではないでしょうか? 私もそう思います。決して娘さんが悪いとか、それをにおわすことはしないでください。似たようなケースが周りであるというのは本当です。心療内科の先生にも言われましたが、大人対子供なら深刻に受け止めることが子供対子供だとただのお医者さんごっこの延長になってしまう。大人がいたずら目的でというのはよくあることです。でも、こどもは子供同士近づきやすいぶんもっと頻繁に起こっている可能性もなきにしもあらずです。そして大事なのはその子だけじゃなく、親にはっきり言うことです。私も、「アメリカでは」「日本だから」という言い方が大嫌いです。もっと何人ではなく、人間レベルで話すべきだと思っています。まりあ@USAさんは私の言いたいことをかなり代弁してもらっています。私、このことをうまく伝えることがなかなかできないんです。見苦しかったでしょう?ごめんなさいね。 心療医にかかっているのは主人の薦めです。主人は大学病院で外科医をしていますが、当時心の傷と私が早産したことを治せないことに医者である自分を責めつづけました。同僚に心療内科の先生(女性)がいて家族でかかることになりました。主人は1年間仕事を休職しました。それだけ、家族にもおおきな問題を残すのです。主人も復帰し、娘も最近はピアノの先生(男性)にもなつきはじめました。ただ、心療内科の先生が今妊娠されていて「ちゃんと産まれる?」と何度も言うそうです。心の傷はなかなか癒せません。だからこそ専門科にかかるのも大事なんです。 本当にそうなんですね。小さな子供は嫌われたくない一心で一生懸命ついていく。本当に悪循環です。大きな子供には大きな子供の付き合いっていうのは大事です。親が子供の友達を選べないというのは間違いです。大事な子供だからこそ選ばなくてはいけません。もしかしたら何十年も前からこうゆうことはあったのかもしれません。でもくさいものにふたをしてきて子供の喧嘩に親が口出さないとかあったのかも?これは喧嘩じゃないけど子供をよい道に導き出してあげるのも親の責任です。殺人をおかした子供の育て方、育ち方は放任や勉強だけを押し付けるというのも少なくありません。 とくめいさんのお話のなかの石を入れてというのも珍しくない話です。女の子は大きくなるにつれ自分で体を洗いたがるし見つけにくいというのです。とくに、絶対に親にみせたらだめといわれたらみせません。私はもっとひどい話をききました。虫をいれられたり、縛られたりです。それを子供同士でするのです。子供は加減をしらないぶん残虐なんです。みなさんも、一度お子さんと一緒にお風呂に入るなどしてみてあげてください。本当にありがとうございました。心が癒されました。私の話につきあってくれてありがとうございます。 今日その9歳の女の子が3回家に来ました。私たちは出かけていたのですが、主人の母が下の子を見ていてくれたので、分かった事です。3回目は私が家にいたので・・・その時にみなさんから頂いた、アドバイスを参考させてもらい、はっきり言いました。だいちさん、なんて言ったらいいか、言葉が出てきません。悲しくて、涙が出てきます。どんなに辛い思いをなさったのでしょう・・・ただただ、だいちさん家族の傷が癒えるようにと願うだけです。最後に私たち親子にアドバイスをくださったみなさん、本当にありがとうございました。私一人ではただただ戸惑うだけで、この掲示板に投稿させて頂いて本当に良かったです。ありがとうございました。 下の投稿で遊び友達から性的虐待を受けたトピックを読んで、胸が痛む思いです。子どもを性的虐待、犯罪から守る方法、指針について書かれた本やHPはありますか。子どもを全ての災難から守ってやることはできませんが、もう少しどうしたらよいのか知りたいのです。興味本位ではありませんし、このような被害にあわれた方を傷つけるつもりはありませんので、お願いします。 バイリンガルのお子さんで年齢が低くて日本語の方が強いなら日本語でも親しみやすいかなとも思います。これ以外にも学校の資料(絵本や紙芝居)を貸してもらうように先生に言ってみるのもいいかもしれません。 子供だけではなくて、日本人の親なら常識として持っていない知識もあるので、教えるのではなくて一緒に勉強していけばいいと思います。 これは下のスレッドで紹介されている とにかくさけんでにげるんだ という絵本の解説からの引用です。 いままで固くふたをされ、ふれてはいけないとされてきたものが、ここ数年の世界的な人権意識の高揚により、被害を受けた側からの発言の機会が増えて表面に出てきたにすぎないと思います。 遅くなりましたが、ひとことお礼が言いたくなりまた書きこみさせていただきます。今回、すずらんさんの投稿により私の娘や私達夫婦の話がこの掲示板を通してみなさんに読んでいただけたこと、そして読んでいただいたみなさんからそのお友達のかたやご家族の方に話されたと思うのですが、どうでしょうか? 私は、すずらんさんの最初の投稿が出たときに自分自身の話をしていいものか悩みました。書くことによって思い出されるあの出来事を考えると。それでも、私の娘と同じような目に遭わせてはいけないと思い時間はかかりましたがなんとかまとめたつもりです。子供同士のことだからとうやむやにするのではなくきちゃんとうけとめて対処していくことが大事なんです。 子供は狙われやすいです。男の子でも女の子でもそうなんです。だから、小さいときから知恵をつけてあげなくてはいけないと思います。私はそれができなかったために、娘をあんな目に遭わせてしまったのかもしれません。この話は「私の子供は大丈夫」「家のこの仲間ではないわ」なんて絶対に思わないで下さい。お母さんどうし話し合ってもいいことだし、これを機にお子さんにいろいろな知識、知恵をつけてあげることもいいと思います。 子供は人を疑いません。疑うことがいいのか悪いのかは別として犯罪にまきこまれないように努力しなくてはと思います。(私自身、この事件のあとはだれも信じられず、小児科の主治医すら危険に思いましたし、娘は夫とお風呂に入るのがすきだったのに入れなくなりました。家族みんなが本当に神経質になりました。) このようなことにまきこまれたら、絶対にきちんと対処してあげてください。守ってあげれるのは母親である、私達です。 ジャムさんの話題、うちの近所にすんでいた男の子もそうだったのかもしれないと思いました。ジャムさん、クッキー大丈夫でしたか?なんだか、このはなしで大笑いしてしまいました。こんなに笑ったのは何年ぶりでしょう?(笑) まりあ@USAさん、一緒に怒ってくれてありがとうございます。「要はどこの国、ということに関係なく完全に責任転嫁をしているだけなのです。」そうなんです。私もそう思います。私はこのようなことを相手に伝えました。しかし、自分だって同じ目に遭ったら責任転嫁せずにいられないといわれ夫と愕然としました。かきませんでしたが、あいてのご主人は日本語はある程度話せますが、私達に対してひどい言葉を英語でぶつけてきました。奥さんが訳してくれましたが、実は夫はボストンに研修にいっていたので英語はできて帰る間際に「奥さんの和訳は間違っている。僕が訳してもってきましょうか?」といいました。よく落ちついてここまでいってくれたと夫を尊敬しました。(私はただ、泣くばかりで冷静ではいられなかった) それから、警察には一応届けました。でも、子供の話というのとアメリカ人相手だと日本は弱いからといわれました。 それだけでひきさがったわけではありませんが「お子さんをこれ以上苦しめることになる」とここもまた責任転嫁されたんですね。日本の警察の不祥事が多いし今は本当に自分の身は自分で守らねばと思います。 ここに書きこみをしたのは間違いではなかったと思っています。なにより、私が助けられました。すずらんさん、読んでくれてありがとう。そして、今も7252の投稿によって活発な意見交換がされていて私は嬉しいです。私は何もアドバイスできることはありません。ただ、被害に遭った子供、家族がどれだけ苦しんでいるか知ってもらえたのは 私は娘を授かったとき本当に嬉しかった。5年もかかっての不妊治療の末にできたから。産まれるまでも入退院を繰り返してうまく出産ができないといわれ帝王切開で命がけで産みました。娘が生まれたとき、本当に感動して一生懸命私の乳首を吸う力強さに何度も励まされてきました。この子を幸せにしよう!絶対に幸せに!いっしょうけんめい、はいはいし、つかまりだちをして、一人出歩くようになってはじめて「ママ!」といわれた日を忘れることができません。ずーっとしあわせに、ずーっと娘の笑顔をみて暮らせると信じていた。母親ならだれでも思うこと。 しかし、あんな事件に巻き込まれ下の子供まで早産して私が母親として何をしてきたのか本当に死にたくなりました。いい先生に出逢い主人にも支えられここまできました。娘も最近はよく笑います。これもわたしの元気のもとです。 性的虐待についてはきっと、もっとひどいことをされている子供はいるはず。胸が痛くなりますが、私達母親ひとりひとりの意識をかえることでこのような事件がひとつでも減ると思っています。私達ひとりひとりが変えられるということを忘れないで下さい。小さな手を重ねあうことを忘れてはいけません。主人の夜勤等でお礼が遅れました。(もう朝ですし。) タイミングがずれて下の方ではレスできませんでしたが、スレッドは全部読んでました。性的虐待を受けない保証はありませんものね。どこに住んでいようがありうることですよね。私は2歳の男の子がいますが、人を疑わない無邪気な笑顔を壊すようなことをされたら私自身だって気が違ってしまうことでしょう。世の中には人を人とも思わないで自分の欲求だけを満たすことにのみ関心のある人がいるんですものね。 私自身も小さい時に被害を受けましたが(日本で)とんでもないことをされたという罪悪感と母に知られたらどうしよう(ショックを与えたらお仕置きされる)という恐怖感で一杯で何もいえませんでした。あの時母に話せてたら今の私はもっと変わってたかもしれません。加害者に「そんなことはいや」と叫んで逃げてれば今の自分はもっと違ってたでしょう。自分の身体は自分のものですものね。性的被害に合わない教育やその治療が今は効果的になされているということはいいことだと思います。 まだ無邪気な息子ですけどそろそろ大きくなったら自分の身体を大切にすることと、誰でも彼の身体を彼の意志に反して触ろうとしたら「ノー」といってもいいことと両親である私達にすぐ言うことを教育していきたいと思います。 だいちさんの娘さんの心の傷は徐々にいえてるようですね。娘さんの笑顔がもっともっと増えてだいちさんの幸せも増えるように祈ってます。 こちらこそ、お礼を言わして下さい。辛い経験、思いを公表して下さって、考えるきっかけになりました。私はとても無知だったので、週刊誌や新聞に掲載されている話ではなく、生身の声に大泣きしてしまいました。だいちさんの家族皆さんの心が毎日少しずつでも癒されるよう願っています。 折しも、アメリカではカソリック教会の神父による、聖歌隊の少年達に対する性的虐待がどんどん明るみに出て、世間は大変な大騒ぎとなっていますよね。教会も、ついに沈黙を守っていられなくなったのです。被害者達は訴訟に出ていますが、勝ったとしても心の傷は癒されるものではないでしょう・・・彼らは皆、教会に非を認めてもらい、「ただ一言、謝ってもらいたいのだ」と言っています。本当に、取り返しの無いことをされた被害者にとって、それだけなんですよね。すまなかった、と頭を下げてもらうことで、たくさんのお金を貰うより、どれだけ心が癒されるかと思うのに、こういう事件の加害者達は共通して、けして自分の非を認めようとしません。私には、それが悔しくてならないのです。こういうことに責任転嫁してしまうのは、加害者達自身も、おそらく、なんらかの虐待を受けて育った被害者である、という背景も多いにあるのかもしれません・・・ 私の主人の姪も、なんと3歳からティーンエージャーになるまで、実父に定期的な性的虐待を受けていたことが、10年ほど前ですが、明るみに出ました。皮肉な話なのですが、この父親は、職業的に、法を守るべき立場にあった人間であり、コミュニティーでも尊敬を受けていた人物だったのです。この人間の「名誉」を守るため、事実がだいぶうやむやにされたり、「彼にも何か理由があったのでは・・・」とまわりがかばうかのような発言をしたりと、いろいろ信じられない状況もありました。 あるソーシャルワーカーと話していた時に出たことなのですが、キャンプのカウンセラー、子供のリトルリーグや、スポーツチームのコーチ、という職業は、(それに就く99%の人は善意の人々なのだけれど・・・)皮肉なことに、こういう子供を性的対象にする暗い衝動を押さえられない人間が、蜜にひかれる蜂のように、惹かれてつく傾向の強い職業であるという側面を、否定できないというのです。 性的な悪戯とか、子供はそういうことでは嘘をつかないものだ、ともたくさんの人から言われました。必要以上に他人を警戒したり、怖がったりすることも愚かですが、母親はやはりそれなりに危険に対してアンテナを張っていないといけないのだな、と痛感しました。そして、何かちょっとでも「おかしいな?」と思ったら、気のせいだわ、などとと打ち消してしまわず、必ず目を光らせるように、「母親の直感」は動物と同じように鋭いものだから、それをもっともっと信じなくてはだめよ、とアドバイスされました。 わたしも男女の子を持つ母としてこのトピはすごく考えさせられるものでした・・・そしてこのように性的虐待についていろいろと情報交換の機会が持てたこと本当に感謝しています。 そこでもうひとつ、わたしの主人の話しをきいてください。まだ主人と結婚する前、いっしょに映画にいったことがありました。その映画はたまたまR指定の映画で途中で同性愛者がセックスをするシーンがありました。特にそのワンシーンは見せすぎだったわけでもなかったのですが、それをみるなり主人は”NO!!!!!!”と叫び映画館からでていってしまったのです。どうしたの?ときくと、ああいうのはニガテなんだといってそれはそれで終わったのです。 結婚した後に、主人から幼いころに養父から性的虐待を受けていたとききました。父親からということは、説明しなくてもどういう行為かはわかっていただけると思います・・・。 自分の耳を疑いました。でも事実です。それをきいて、ああ、あのときの映画館での出来事はこれが原因だったとわかりました。いまでは主人は養父と普通に接していますが、わたしはどこか嫌悪感があって自分の子どもたちを近づけるのすらためらってしまいます。主人は数年前からときどき過呼吸の発作を起こすようになり精神科で治療を受けています。わたしはこれは昔のことがトラウマになっていまこのような形で影響を及ぼしているのだと思っています。他にも、少年のころ、主人の家に水道管かなにかの修理でリペアマンがきたときに彼の仕事をみたくてそばにいた主人にそのリペアマンはマスターベーションをするからみてくれないか、と頼んできたそうです。もちろんこわくて断れず、途中までみてしまったそうです。母親は別室にいて、気がつかなかったそうです。息子がリペアマンの修理するのをみたいのは、少年としてあたりまえでまさかそんなことが起こるとは思ってもみなかったのでしょう。 主人の幼いころの出来事や、みなさんの投稿を読んで女の子でも男の子でも関係なく、私たちが親として自分の子どもたちを守っていくしかないと痛感させられました。自分の子どもたちを被害者にも加害者にもさせないために、これからきちんと教えていくのが親の役目だと思いました。読んでいただいた方どうもありがとうございました。 今回のスレッドを読んでいて自分の過去を思い出しました。私はある時期実の兄から性的な悪戯をされていました。それは少し長く続き、やがて兄の成長を経て終わりましたが、今思い出してもおぞましい過去です。もちろん両親は何も知りません。未来永劫知らせるつもりはありません。彼らにとっては兄も可愛い息子なのですから。でも当時は恐ろしくて、何度母に頼んで助けてもらおうと思ったかわかりませんでした。 危険は外だけでなく、実の親や兄弟も時として家族を性的虐待の対象にします。そしてそれは決して珍しいことではないのだということを皆様にお知らせしたくて恥を忍んで書きました。少し大きくなったからといって、子供から目を離さないであげてください。子供は必ず何かのサインをだしているはずですから。 私も今回匿名さんとおなじく、実の兄にいたずらをされていました。私が小学校の高学年の頃から中学に通っている頃まで続きました。とても怖くて、恥ずかしくて、両親が離婚して環境が転々と変わっていたこともあり、誰にも助けを求められませんでした。私の場合は今回匿名さんと違って、母に事実を告げました。しかし、母には「あんた自身も求めてたから今までだまってたんだ」と言われました。一番私の気持ちを理解してくれると思っていた母に言われた言葉は兄にされた事よりもはるかに私の心に傷をつけました。今でも思い出すのはその言葉です。あの時、母にもう少し別の言葉をかけてもらってたら・・・・。本当に、このスレッドで、性犯罪の加害者、被害者の親の対応がその後の子供の心の傷の癒えかたが違うのだと知っていただきたいと思いました。 年子の兄に小学校6年の頃から半年くらい・・・。怖くて母には言い出せなかったけれど、あまりにも長男を優遇する態度にキレてある日ぶちまけてしまいました。母は、もちろん兄も叱りましたが私に対しても「お前がそういう(兄の気持ちをそそるような)格好をしているからだ!」といいました。母も混乱していたのだと思います。まさか自分の子供たちが・・・って。兄のちょうど思春期特有の女性に対する興味が身近な私に向けての行為だったのだと思います。 あれから20年。今はもう何事もなかったように接しています。あの時はほんとにすごく嫌だったけれど、結局兄も母も憎むことはできませんでした。兄から受けたいたずらの程度が軽かったからかもしれませんが・・・。母の言葉などを思い出すと未だに複雑な心境になりますが・・・。兄のことを軽蔑する気持ちにもなれなかったし・・・。こんな私はちょっと感覚がおかしいのかもしれませんが・・・。 私はもっと幼い頃に、父の弟から性的ないたずらをされていたので当時はまだ小学校に上がる前で、何をされているのかわかりませんでした。でも、遊びに来るたびに私だけ(兄ではなく)をお風呂に入れてあげるといっては、私の大事なところを触っていました。夜は夜で寝かしつけてあげるからといって、一緒の布団にはいってきて同様の行為をされました。何故か体が硬直して逃げられなかった。ほんとに幼かったけれど、何か親に言ってはいけないような・・・なとなくそんな気がして随分大きくなるまで言えなかったです。 告白のきっかけは、多分両親の夫婦喧嘩の原因がたまたま父の弟の頻繁な訪問のことだったから。だんだん自分が大人になるに連れて、あの行為がどういうことなのか理解するようになって、ほんとうにその叔父には来て欲しくなかった。でも、なんか自分が告白してしまうことで、家族がばらばらになってしまうんじゃないか・・・とそっちのほうが私にとって恐怖だったかもしれません。だから、長い間言えなかった。 父は、私を守ってくれました。父の弟はそれ以来出入り禁止で絶縁状態になりました。何年も絶縁状態だった叔父が父の葬儀に来て参列の方々がお帰りになったあと、霊前でおいおい泣いている姿を見てなんとも言えない気持ちになりました。今は自分が叔父を憎んでいるかどうかわかりません。もう憎悪の気持ちは消えつつあるのかもしれません。まったくそういう気持ちがないというわけではありませんが、ずっとそういう気持ちを持ち続ける自分もつらいのです。そういうことをされた記憶は消せませんが、日常生活では少なくとも忘れていたいのです。自分のそういう体験がなければ、きっとわたしも子供たちの性の興味にたいして、のほほんとのんびり他人事のように考えていたかもしれないな・・・と思います。どこかに、自分の子に限ってという気持ちがあるかもしれないし・・・。 私が小学校中学年の頃、兄の友達が遊びに来たときに、兄にけしかけてたのが最初でした。それ以来、寝ているときに兄がこっそり部屋に来て、胸や性器を触られたことが何度かありました。頭が良くて優しい兄だったので、本当にショックでした。起きるに起きられずどうしたらよいかわからなくて、寝返りを打ったふりをしたりしました。私は親には言えなかったけど、「私も匿名」さんのお母さんのようなことを言われたら本当にショックでしょう...お母さんもショックだったのでしょうが、あんまりですね。 その頃も今も、わりと仲の良い兄弟です。兄も私も今は子供が出来てしょっちゅう話もします。消したい思い出ですが、忘れることは出来ません。匿名でも、今まで誰かに話したことはありませんでした。 私も幼稚園〜小学校低学年の頃、近所に住んでいた2つ上のいとこの女の子に性的ないたずらをされていました。 もちろん親には言えませんでしたし、性的な事を教えられたのはそれが最初でした。今でも大変醜い思い出となっています。こういう事って、みんな表沙汰にしないだけで、きっと日常茶飯事なんでしょうね…とても残念ですが…。でも、自分の娘たちにはそのような目には絶対に遭わせたくありません。お友達などなら、危険だと分かれば付き合いをやめられますが、兄弟やいとこなどはそういう訳にもいきませんよね。でも子供が口止めされたりしている場合、どうしたら親が気付いてやる事ができるのでしょう?なんだかどうしたら安全なのか分からなくなってきました… 私は小さい頃、多分幼稚園生くらいだったと思うのですが、近所のよく遊んでくれるお兄ちゃんにイタズラをされました。弟と二人で遊びに行ったある日、弟にはおもちゃを渡して「これで遊んでいて」と言って私を他の部屋に連れてって体を触られました。 その時は何も言えずにビックリと早く止めて欲しいという気持ちで悲しかったのを覚えています。 2、3日たってそのお兄ちゃんが遊びにおいでよと言った時に母は何も知らないので私と弟に「遊んで来たら?」と言ったので私は母に「イヤ、もうお兄ちゃんとは遊びたくない」とそれから母からいろいろ質問され体を触られた事を言いました。 話の後、母は私と弟にちょっとお留守番してなさいと言ってそのお兄ちゃんの家にでかけて行きました。 帰って来た時の母の顔がすごい怒ってたのでそのお兄ちゃんにメタクソ言ってきたのだなと思います。その話にはその後一回もふれた事はありません...が、母はそれからとても敏感になったようでした。 例えば、姉二人がそろばん塾に入ったのですが、そこの男の先生が姉二人を塾の帰りにアイスクリームを買ってあげたり、送り迎えをしたいと言い出した時、母は姉達の塾通いを辞めさせました。 大人の男が理由もなくそんな親切にするはずがないっと。 姉達はブーブー言ってましたが私は姉達の為にこれでいいのだと幼心に思ったのでした。 去年、里帰りした時に兄弟で性的虐待の話になり私がそのお兄ちゃんの話を家族にしました。 今までは母以外誰も知らなかったのでみんなビックリしていました。 私は弟に何気なくあの時気づいてなかったか聞いたら、ぜんぜん気づかなかったという事でした。 時々、母と電話で子供の様子などを話すと母はこう言います..「貴方(母親)が子供を守らなくてどうするの、子供には親しかいないんだよ..特に母親」と..私はいつもこの言葉を心にとめています。 このプログラムは、わかりやすい人権概念を教え、子どもたちがいじめ、痴漢、誘拐、性暴力といったさまざまな暴力に対して何が出来るかを子ども、親、教職員、地域の人々に教えるプログラムです。皆さんの中には初めてこの名称を目にされた方もいらっしゃるかもしれませんが、実は日本にこのプログラムが紹介されたのは1985年です。実際に子どもたちにプログラムを実施したのは1994年です。そう、私たちが子どもの頃はこのプログラムはなかったのです。 きっと、もっともっと素敵な親子関係が築けたかも知れない、私は子どもの頃もっと安心・自信・自由のある子ども時代が送れたのではないかなと、ふと思うのです。 子どもへの暴力に対応する分野で、児童相談所や警察は介入の分野ですよね、医療機関・自助グループ・カウンセラーは治療の分野、大学・政府・民間団体・個人による研究プロジェクトが調査研究分野、CAPは防止分野に位置づけられます。小学校に入学した当初、交通事故防止のために交通安全教室をやりますよね、そんな感じで暴力の防止・予防の分野として創られたプログラムなのです。 小学生が登校途中にレイプされた事件がきっかけです。保護者も子どもも不安と恐れでパニック状態になってしまい、子どもを一人で遊ばせないようにし、送り迎えにも注意をはらいました。そうした親たちの不安感は子どもたちにも伝染し、夜尿をしたり夜うなされたり、一人でいることを怖がるなど、恐れと不安でいっぱいになりました。また、おとなが一日中子どもについていることは不可能でした。大人たちは、おとなが子どもを守るというやり方には限界があることに気付き、一人の女性教師がレイプ救援センターに相談をし、あらゆる専門家の協力のもと、プログラムが作られました。 プログラムの実施は子どもたちにとって効果があり、その後研究と改良を重ねられて現在のプログラムになりました。そのプログラムづくりに参加されていた森田ゆりさんが、日本にこのプログラを紹介されたというわけです。 暴力防止には、自分自身を大切にする気持ちを育てることが重要と考えられ、人権教育が大きな柱となっています。CAPプログラムの中には「子どもワークショップ」「おとなワークショップ」という参加型の学習会があり、地域、PTA、学校などの依頼を受けてプログラムを実施しています。 ワークショップでは、おとなは子どもに「私に話してくれてありがとう」「あなたの言ったことは信じるよ」「あなたが悪いんじゃないんだよ」と伝えることが大切であること、子どもには「安心」「自信」「自由」の3つの大切な権利を持っていることを伝えます。 その権利を守るために「No・いやと言う」「Go・その場を離れる」「Tell・誰かに話す」という具体的な方法をロールプレイ(寸劇)で学んでいきます。「〜しなさい」ではなく「〜していいんだよ」という言い方で伝えます。子どもの自己肯定感情(セルフ・エスティーム)を高めて、子どもが自分を価値のある存在だと感じることが大切だと考えているのです。丹念に調査・研究されたプログラム(※)による体験型学習の中で楽しみながら学べるのです。 そして、CAPの役割は、子どもが本来潜在的に持っている力や個性「内なる力」を引き出す(エンパワメントする)ことにあると考えています。また、子どもたちの安全のためには家庭やコミュニティー(地域)のおとなたちが子どもたちをサポートすることが不可欠だと考え親や地域のおとなに対しても積極的な働きかけをします。 私が子どもの頃にこのプログラムを受けていたら・・・と書きましたが、実は子どもの頃に未遂ですが被害を受けそうになった経験があります。 小学校中学年の頃、裏の神社で友達数人と遊んでいた時です。私の周りに誰もいなくなったその一瞬をついて見知らぬおじさんが声をかけてきました。「ねえ、その建物(公民館)の中どうなっているかちょっと案内してくれない?」身なりのきちんとしたおじさんがすぐ脇に立っていました。私は迷いました。だって『誰にでも親切に!』が私のモットーだったのですから。でも、心のどこかで建物に入ったらすごく恐ろしいことが起こるような不安が過ぎり、そこから離れるための言い訳をとっさに考え、「家に用事があるんだった!」と言い、後ろも振り返らず早足で帰宅しました。すぐ母にこのことを伝えました。すると「え、ほんと?そうなの?ふーん」とそれほどたいした事でもないようすです。(本心はわかりません)私の心は恐怖と不安でいっぱいだったのに。もし実際に被害を受けていたら母はなんて言ったでしょう?もしかすると「このことはもう忘れなさい」でしょうか、どうでしょうか。プログラムを受けていたら「え、そんなことがあったの、すごく怖かったのね、逃げてこられて良かったね、とっさに思いついたの?えらかったね、もう怖くないよ」と抱きしめられ、私の心はその場で癒されたかもしれません。母がすぐ警察に通報していたら、地域に警告を発することが出来たかもしれません。 小学校高学年の頃は担任教師が早熟な女子児童らに対し、わいせつ行為を授業中常習的に行っていました。誰も家に帰ってこのことを親に話しませんでした。学校の、どの教師にも助けを求めませんでした。どうしてでしょう、ひょっとすると担任教師に体を触られることは感覚的に麻痺し、大騒ぎすることではないと思っていたかもしれません。子どもがそんなことを言っても誰も信じてくれない、言ってもどうせ無駄だ、私だけが悪者になってしまうかも、担任の仕返しが怖い・・・周りの雰囲気でそんなことを感じ取ってしまったからかもしれません。「やめて!」「私たちはそんなことされたくない」「大切な私の心と体を傷つけないで!」と叫んでもよいなんて子どもたちは知らなかったのです。当時、誰も教えてくれなかったのです。小学校の高学年の頃を思い出すたび、友だち同士で助け合えなく、沈黙してしまったことを今でも悔やみます。また私もそんな光景を目にしたことで心が傷つけられました。 CAPは、現在世界16カ国、本部は米国のニュージャージー州にあり、日本ではCAPセンター・JAPAN(特定非営利活動法人)が核となり、全国130のグループがそれぞれの地域で活動しています。私の住む地域にこの活動が始まったのは今から3年前です。メンバーは自分たちの地域の子どもにもこのプログラムを届けたいと強く願い、一人一人が自らの意志で始めました。私のことを話しますと、以前から興味があったということもありますが、こちらのSweet まず、私の場合、住む地域にCAPグループが存在するのか?インターネットで調べる作業から出発しました。以前、地元の新聞記事で目にしたことがあったのでたぶんあるだろうと。ありました、しかしホームページも無いし電話番号もなく連絡がつきません。そこで、なんだか関係がありそうな地域の子ども虐待防止サイトを見つけメールを送りました。「この地域のCAPグループをもしご存知なら活動を詳しく知りたいので紹介してください」と依頼したのです。活動を始めて間もない現在のCAPグループの代表から連絡が入り、まずは例会や活動を見学してみましょうということに話が進み、その後、数々の見学・サポートを経てあっという間に私は自らの決断でCAPグループの一員になりました。(それぞれのグループの方針があるので全てが同じではありません) 勇気?そうですね、ちょっと勇気を出して私も飛び込んでみました。でもサークル活動のノリです。仲間はそれぞれに仕事を持っている人ばかりでしたが、皆、自分が関われるかたちで活動に参加しています。お互いを尊重し合い、平等で無理をしないところが良いところです。自分がどのように関わるかということは自分自身が選択し、それに対し責任を持ちます。たえずプロとしての重責も感じますが、届けることが出来た時の喜びもひとしおです。 また、CAPプログラムを子どもの学校でやって欲しいとお考えの方は、ぜひ担任の先生や保護者会に提案をしてみてください。CAPは学校のクラス単位で受けることが出来ます。地域によっては行政が積極的に支援しているところもあります。 提案するには、このプログラムの内容を知る必要がありますから、たえずどこかで開催されているおとなのためのワークショップを、CAPグループの許可を得て見学されることも良いでしょう。依頼手順等、詳細はお近くのCAPグループか、CAPセンター・JAPANにお問い合わせください。(グループマップがあります)日本以外に在住の方はICAP(本部)がよろしいかと思います。CAPグループには色々なパンフレット等用意していますので、まずは声を掛けどのように進めていったらよいか相談すると良いでしょう。 残念ながらお住まいの地域・国にCAPがなく、それでも地域の子どもたちに届けたいと願う方は自分がグループを立ち上げるという方法もありますよ。私がCAPスペシャリストになるための養成講座を受講した折、トレーナーはこんな言葉を選んで贈ってくれました。はじめなければはじまらない つづけなければつづかない 勇気を奮い立たせてくれる言葉です。どの子にも、暖かくて愛情があり安心に暮らせる家庭と地域、そして世界にしてあげたいとそんな願いが心の奥底から湧き上がってきます。わが子に対しても、「お母さんがそこにいるだけで安心だよ」と思ってもらえるように、また、私自身の安心・自信・自由の権利を大切にして生活することも重要なことだと、いつも心に強く思っています。 ※CAPプログラムでは、暴力という非常にデリケートで難しい問題を扱うため、子どもたちを傷つけたり不安にさせないよう、細心の注意が払われています。そのため「CAP子どもワークショップ」の一部あるいは全部を自己流に実施することは禁じられています。 |
[ 144] 女性型ロボットへの性的欲望の未来 - G★RDIAS
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/gordias/20071117/1195228052
知らないうちに、女性型ロボットがすごいところまで進化している。しかしどうして女性型ロボットが進化するのか。そのほうが売れると見ているのか。開発者の性的欲望がそうさせるのか。ジェンダーの視点から見たらどうなるのか。 これは阪大で作られたもの。ユーチューブに上げられたもののなかではいちばん人間そっくりのように思う。 サンリオが資本提供しているのはなるほどと思う。「ダイエット」「セクハラ」とかの言葉が出てきているあたりが注目点か。 研究者の男が女性型ロボットの胸を触るシーンが収められている。開発者の性的欲望があらわになったシーンであろう。 ・なぜ女性型ロボットが熱心に作られるのか、それも美人系の?(ロボット大集合サイトでも、上記ココロ社のものがアクセスNo.1とのこと) ・自立歩行でき人工知能が積まれてセックスできるようになったら、子どもがほしくない男たちは、生身の女性は要らなくなるのではないか? 歳を取ることもないし、好きなようにカスタマイズできる。あるいは子育てが終わった男は離婚して、美人のロボットを伴侶とするようになるのではないか。 私は開発者の(隠された)性欲がこれらの動きを作り出していると思うし、このままいけば上記のようになっていくのは避けがたいと思う。もし仮に多くの男がロボットを伴侶に選ぶようになったら、女性たちはどうすればいいのか。ちょびっつのように、女性もまた男性型ロボットを伴侶に選ぶようになるだろうか。腐女子たちが社会のマジョリティになってきたらそうなるかもしれない。現在でも、美男子フィギアを集めている女性はけっこういる。男性が生身の女性を性的愛玩物にしようとする圧力は弱まり、若さ美しさを生身の女性に期待する視線も減っていき、女性にとっては生き易い社会が出現するかもしれない。かくして男と女は徐々に棲み分けをはじめていく・・・、と書くとみなさんきっと反発なさるでしょうが・・・。 「棲み分け」というと聞こえがいいようですが、要するに「関わらない」ことですよね。一方的な欲求を満たしてくれるロボットと、それを求める人間のみの関係。これが進むと人間同士の関係はもっと難しくなるでしょうね。さらにキレやすくなるのでは...?でも、そのうちに性欲を満たされることにも飽きて、逆の「性欲を簡単に満たしてくれない(つれなくする)ロボット」も出てくるのでは? 正直、気味が悪い。いくら精巧に出来ていたとしても、「動くダッチワイフ」の領域を出ないでしょう。これらの女性型ロボットの出現によって、例えば障害者ケアの現場などでは恩恵を被るかもしれません。しかしながら、いくら老いたとしても、こんなのにお世話になるというのは僕にはない発想です。例えこれらのロボットと「セックス」できるようになったとしても、所詮は自慰行為の延長でしかない。女性型ロボットの発達によって、即「生身の」パートナーが不要になるとは考えられません。むしろ、男性は「生身」の、「本物」の女性をロボットの出現以前よりもさらに求めるようになるのではないでしょうか。 >開発者の性的欲望があらわになったシーンであろう。映像を見ると、腕を叩かれたときにそれなりの対応をするのと同様、胸を触られたときの対応もそれなりですよ、ということを示すために触っているように見えますが・・・ロボットに美人系女性が多い理由は、開発者の男性比率が高いであろうという属人的な要素と(精巧なおっさんロボットを作るよりも作り込むモチベーションが出そう)、コンパニオン的な用途を考えている場合には女性であるのが自然、というような用途からの要請があると思います。ということで、上の例からセックスうんぬんの議論をするのは考え過ぎな気がしつつもあえて言えば、高級なダッチワイフを作ろうとする人もいるでしょうが、それが現実の女性の競合相手となるとは思えません。現状ダッチワイフが現実の女性の地位を脅かしていないように。 女性型ロボットだけが進化している訳じゃないでしょう。動画だけじゃなく阪大やATRなんかの研究やその目的を調べるとわかります。決してセックスできる女性型ロボットを作ろうとしているわけではありません。まあロボットに美人系女性が多い理由はharuさんの意見と同意。 とりあえず「裏切らない」、「人を利用しようとしない」娘(ロボット)であるなら、喪男の私としてはありです。「ではドールで良いのでは?」と言われたら、少しは心が通じて欲しい気がしています。(Hとかも無しで良いです。) 女性型ロボットの容姿や動作が洗練され、人間に限りなく近づいていくと、セックス用途のロボットは必ず商品化されると思います。ただし、ロボットと人間の存在形態には、いろんな意味で埋めがたい差異があると、2007年に生きている私は感じているので、女性型ロボットを伴侶にするという発想にはついていけません。ただし、未来社会に生きる人類のうち、どれぐらいの人が、今の私と同じように感じるかどうかは、ちょっと予測がつかないですね。 わざわざログインしました、ほぼ1年ぶり。男はバカだフケツだ空気よめないだ言ってる人にとってはこれは朗報。これらがフィルターになって、恋愛するのは恋愛オタクだけになり、女性にとって快適な恋愛環境が生まれるでしょう。 筆者の頭の悪さを感じた。性的欲望で作ってる訳でなく人間らしくを目指した結果の副産物であり主目的はそこではない。上辺だけ見る人間の頭の悪さを垣間見た。 人間のコンパニオンとして使えるレベルになると今は人間がやっている労働とかも代わりにやってくれそうですね。男性の労働力としての価値はそのぶん減りますから、女性側にとっても経済的な理由による結婚への圧力は減り、生きやすくなるでしょうね。 はてブから来ました。注目エントリに選ばれたから、自分みたいなこのサイトに関連の無い人間が多く来ている様子。匿名コメントが多いのは単純にはてなのIDを持っている無い人間が多いからかと。もしくはワザワザログインする必要が無い。ちなみに内容は読んでないです。 >なぜ女性型ロボットが熱心に作られるのか、それも美人系の?(ロボット大集合サイトでも、上記ココロ>社のものがアクセスNo.1とのこと)あげあし取ると、まずロボット開発の中で女性型ロボットがどれくらい開発されているのか、によって熱心に作られるっていうのは変わってくると思うのですが?どうでしょう。美人なのは、なにも醜く作らなくても良いからじゃないですかね、そういうと女性である必要もないようですけれども。面倒くさくてカナダのしか見てないのですがインフォメーション目的なのじゃないでしょうか?カナダのは道案内してたみたいですし。受付嬢みたいな感覚なのでは。良い悪いは知りませんけど。>究極はセックスできる女性型ロボットが目指されているのか?セックス用ロボットが登場するかもしれませんが、セックス目的ではないのではないかなと。無い理由っていうのは、私の想像力の欠如ですけれど映画「ターミネーター」ばりに技術力が向上しないと、現段階の女性型ロボットを見てセックスに結びつける男性はそうはいないと思いますよ。よって、セックスに用いる為に研究をしているというのは、あっても稀なのでは。あと、開発費がかかりますので企業でセックス用だというのはバカバカしいかと。おそらく企業イメージの低下もありますし。また、企業内での研究者・開発者は上からの指示で開発の人もいるのでは?>自立歩行でき人工知能が積まれてセックスできるようになったら、子どもがほしくない男たちは、生身の>女性は要らなくなるのではないか? 歳を取ることもないし、好きなようにカスタマイズできる。あるい>は子育てが終わった男は離婚して、美人のロボットを伴侶とするようになるのではないか。人工知能の発達度合いかセックス用に耐えうる発達を遂げた上で低知能型から高知能型までカスタマイズできるとなると、それなりにそういう人は出てくるかもしれませんね。ただ、全部ではないかと。脳そのものを再現できれば(プログラミングという限界を超えるカスタマイズの可能性が出れば)全部という可能性も出てくるでしょうけど。ただ、見てくれは恐ろしく可変的なものですから(醜く作ろうと思えば作れる)、女性にとっての男性も必要なくなるんじゃないですかね?>かくして男と女は徐々に棲み分けをはじめていく・・・、と書くとみなさんきっと反発なさるでしょうが・・・。個人的にはそうなること(もちろん、なれば)に特に問題はないのではないかなと。 先陣切るのは大体変態じゃないでしょうか?技術屋なんて自分のしたいことやってるだけでしょう。僕ら凡人が、理性だの何だのなんて。。出来上がった技術をどう使うか考えるのが凡人の役目ではないでしょうか? >技術屋なんて自分のしたいことやってるだけでしょう。いや・・まず最初に来るのはなんの役に立つかで次にコストだよ・・。本当にしたいことだけやってたら予算おりねーよ。>間接が間接がゆらついてるんじゃなくて上のやつは全部サーボモータつかってるから制御がかくかくになっちゃうんよ。モーターの制御は目標値にあいまいに設定してる上に出力が振動するからかくかくする。空気アクチュエーターやそれ以外のアクチュエーター使った奴がでてきてるけどそれは本当に人間くさくて気持ち悪いよ。 匿名のコメントが多いのは大手のニュースサイトにアドレスを貼られたからだと思いますよwロボットに女性型が出てる理由は若い女性型だとチャレンジだからって言ってる開発者がいたような。老人だと皺を大量につくるだけで本物みたいに見えるからってさ。メイドロボやらダッチワイフやらが実用化されるのはそれこそ50年後じゃないかな。 karposさん、情報ありがとうございます。このリンク先は面白いですね。本も出版されたらしいので、あとでエントリーしておきます。 男性の視点では、セックス用ロボットは是非出来てほしいです。現代社会と、持って生まれた特性とにギャップがあるのが男性です。一人の男性につき、ほとんどの人が子供1人から5人くらいしか作れないのに、肉体的には、ほぼ毎日射精できるし、性欲もあります。 生身の女性とロボットは別物と見る社会になると思います。ロボットは所詮ロボットなので、オナニーのリアル版といってもいいでしょう。しかしかなりリアルなので、性欲が解消され、売春、不倫も減って、現代社会のギャップが解消されます。ロボットの見た目は、いくらでも美人に出来るので、生身の女性は見た目ではなく、より心の魅力や生き物としての魅力を磨くようになるのではないでしょうか? そうすれば、 このブログは、現代社会における正義・テクノロジー・宗教・性などの「解けにくい結び目」を解きほぐすための情報と議論を提供するものである。 |
[ 145] 近親相姦/性的虐待2 近親相姦タブーと性的境界
[引用サイト] http://homepage1.nifty.com/eggs/jitai/incest/2taboo.html
人間の性行動の調査をするときには、「性の秘密」という厚い壁に阻まれてしまい、その実態をつかむことが非常に困難であります。そこで、近親相姦タブーの問題を考えるにあたって、そもそも人間はなぜ隠れて性交するのかという問題から考えてみたいと思います。 人間に近い動物であるサルは、堂々とみんなの見ている前で性交するのですが、最近、野性のチンパンジーの観察で非常に興味深いケースが報告されています。これは、極めてまれなことなのですが、群れの中で地位の低いオスが隠れてメスと性交していたというのです。観察によると、どうやらみんなのいる所で性交していると、地位の高いオスが割り込んできて、メスを横取りされることがあることから、それを避けるために隠れて性交しているらしいのです。これは、人間の性行動を考えるうえで、非常に示唆に富んでいると言えましょう。つまり、隠れて性交するということは、地位の低いサルであっても、子孫を残すチャンスが得られるということです。サルの観察でも、弱い者同士が群れを離れて別の群れを作るというケースも観察されています。ですので、おそらく人間もこれと同じように、弱い者同士が集まって、なるべく平等な集団を作ろうとしていく過程のなかで、性交もお互いに隠れてすることによって、子孫を残す機会を平等に分け合うようになったのではないか、というふうに私は推測しています。そして、隠れて性交することによって、メスとの継続的な夫婦関係や、夫婦の持ち物としての「家族の財産」といった観念が発達していったのではないかと思われます。つまり、性は公開すべきものではなくて、プライベートなものであり、隠すべきものであるというふうに位置づけることによって、そこから個人の所有の観念や、夫婦や家族などの観念が発達していったのではないかと思います。 人間の社会にも、かつて二百数十年くらい前までは、乱交社会というのが現実に存在していまして、あの大航海時代にキャプテン・クックが初めてタヒチ島に上陸したときには、そのあまりのありさまに、ビックリ仰天しているのであります。そして、彼等が島に上陸したときに非常に困ったことは、露骨な誘惑もさることながら、島民には「所有」という観念が希薄だったということです。ですから、個人の所有物であろうと何であろうと、みんな勝手に持っていってしまい、それで島民との間でトラブルが多発することになったのです。西洋から来た人たちにとって、これはまさに泥棒行為そのものなのですが、島民にとっては何でもないことだったのです。このような所有の観念があまり発達しなかった背景には、やはり乱交による性の共有というのがあるのではないかと思われます。集団のしきたりとして、特定の異性とだけ性交することが許されず、頻繁に相手を変えて性交しなければならなかったのです。しかし、このような乱交社会であっても、若いうちはいいのですが、歳をとってくるとやはり特定の異性に愛着を持つようになるようでして、なかでも地位の高い人たちには夫婦のような関係になることも黙認されていたようです。このような乱交社会というのは、現代の我々の社会と比較すると、興味深い事がたくさんありますので、これはまた別の機会に書くことにします。 さて、このような所有という観念も、発達の仕方がいろいろとありまして、それが性的な関係にも色濃く反映されることになるのです。たとえば、その最たるものに、家族の財産を誰が引き継ぐのかということがあります。男が代々財産を引き継いでいくのが父系社会であり、女が引き継いでいく場合が母系社会となるのです。この、両者の間には、性関係のあり方にも大きな違いがあるのです。たとえば、父系社会では、男が家の財産を継いでいきますので、生まれてくる子供は間違いなく父親の子どもでなければならないのです。妻が浮気をして作った他人の息子では困るのです。そこで、間違いなく妻に自分の子どもを産ませるために、いわゆる純潔だとか貞操観念だとかいった性道徳が発達することになるのです。そして、たとえば、結婚するまでは処女でなければならないとか、女は男を産んでこそ一人前の女であるとか、性的に活発な女はふしだらな女であるとか、そういったさまざまな価値観が、父系社会を支えるために発達していくのです。 しかし、母系社会では様子がだいぶ違ってくるのです。女性の場合には、自分の子どもというのは、当然のことながら自分自身が産むわけですので、父系社会の父親ように、本当に自分の子どもなのかというような疑いを持つ必要はまったくないのです。ですので、子どもの父親がどこの誰であろうと、自分で産んだ子は、疑いもなく自分の子どもなわけです。このようなことから、母系社会では性に関しては全体的に開放的な傾向が見られるのです。そして、女が財産を継いでいきますので、産んだ子が男ですと「ハズレ」ということになってしまうのです。そして、女は女を産んでこそ一人前の女となるのです。 このようなことは、民族によって風習やしきたりなどがさまざまなのでありすが、おおざっぱに言いますと、父系社会と母系社会にはこのような違いがあるのです。しかし、母系社会だからといってかならずしも女が威張っているわけではなくて、なかには、女は男の前を横切るときには四つん這いにならなければならないというような、非常に変わったしきたりのある母系社会もあるのです。 さて、このようにして人間はさまざまな文化や性道徳を発達させていったのですが、では次に家族内での性関係はどうなのかという事について考えてみたいと思います。なぜ近親者の間では性行為や、婚姻関係を結ぶことが禁止されるのかという、いわゆる近親相姦タブーの問題です。これにはいろいろな説がありまして、だいたいみなさんは、すぐに遺伝の問題を思い浮かべると思いますが、どうもこの説にはあまり説得力がないのです。たしかに近親婚を繰り返すことによって、遺伝的に問題を持った子供が生まれる確率は高くなるとは思われますが、それは統計を取ってみて初めて分かることでして、乳幼児の死亡率が非常に高かった時代においては、死亡の原因が近親姦によるものなのか、病気などによるものなのかを区別することが不可能だったからです。では、現在では、近親姦による遺伝の問題はどうなっているのかというと、研究者によって非常に大きなバラツキがありまして、現在においても確かな事は分かっていないのです。たしかに、両親が最初から遺伝的な問題を抱えている場合には、それが子どもに遺伝していくことになりますが、そういう場合を除けば、おそらく今の高齢出産の危険率と同じくらいではないかという人もいますし、いや、もっと高いはずだという人もいます。相手が人間ですので、実際に交配して実験してみるわけにも行きませんので、おそらく危険率は高くなるだろうとは思われますが、それがどれくらいの数字になるのかということはまだよく分かっていないのです。しかし、歴史を振り返ってみますと、たとえば古代のエジプトでは、きょうだい婚による王位の継承が何代にもわたって続けられて、かのクレオパトラもそのようにして生まれてきたわけですし、クレオパトラ自身も実の弟であるトレミーと結婚しているのです。そして、遺伝的には何の問題もないのです。インカ帝国においても14代にわたってきょうだい婚が繰り返されましたが、健康上の問題は起きていません。その一方で、ヨーロッパの王家は、近親婚による血友病という遺伝的な問題を抱えていて苦しんだようです。 では近親相姦タブーはなぜ存在するのかというと、いろいろな説がある中で、「社会化」説が一番説得力があるのではないかと思われます。これはどういうことなのかといいますと、家族の外部の人と結婚することで、親戚が増えることになりますので、このような社会化によって、たとえば農作業などの人手が必要な時に、親戚同士で助け合うことが出来ますし、食べ物やお金に困っているようなときには、お互いに融通し合うことも出来るのです。このように血の繋がりを家族の外部の人たちに解放することによって、みんなから社会の一員として受け入れられることになるのです。しかし、これを拒否して閉鎖的な近親姦をしていますと、それは社会化への拒絶となりますので、このような反社会的な行為は忌み嫌われることになるのです。しかし、これとはまったく逆に、強大な権力や莫大な財産を持っている人のような場合には、親戚が増えれば権力や財産が分散してしまいますので、古代エジプトのファラオのように、近親婚を繰り返すことで、自分たちの独占的な利権を守ろうとするのです。そして、近親婚を、王に許された神聖な婚姻であるとして、それを正当化したりするのです。 このように、社会化がタブーの背景にあることから、そのタブーの範囲をどこまでとするのかということも、その社会の文化や価値観によって違ってくることになるのです。そこで、まず日本の現在の状況について言いますと、法律によって、直系の血族と、傍系の血族で三親等以内の人との結婚は禁止されているのです(備考欄に条文掲載)。ここで直系というのは、たとえば自分の両親、祖父母、曾祖父母というふうに、親をさかのぼって行ったり、あるいは自分の子ども、孫、ひ孫というふうに子どもをたどっていったりする、上下の垂直の血の繋がりのことで、これは何親等であろうと禁止されています。さて、ちょっとゴチャゴチャしてきますが、次の傍系というのは、直系の人たちの兄弟姉妹や、そこからさらに先に伸びていく血の繋がりのことを言います。たとえば、自分自身の兄弟姉妹との関係はどうなるのかと言いますと、これは直系ではなくて傍系ということになるのです。そして、何親等になるかと言いますと、親等の数え方は、私−親−私の兄弟姉妹、というふうに血の繋がりをたどるときに、一度親のところに戻って、それから兄弟姉妹のところに行くという数え方をしますので、2親等ということになります。そして、法律ではこの傍系の血の繋がりについて、3親等以内が禁止の対象になっているのです。 ということになりますが、いくら法律上は結婚可能であるとは言っても、その年齢差を考えてみるとどうなんでしょかね。そこで、自分の年齢に近い線を探るのであれば、親のルートをたどることになります。 ということで、いとことなら結婚できることになるのです。もしも、自分に配偶者がいるときには、配偶者の両親などは、血族ではなくて「姻族」というふうに呼ばれ、姻族については、直系についてだけが禁止の対象になっています。ですので、たとえば妻が亡くなった時は、夫は妻の妹と結婚することもできるのです。しかし、妻の母親、つまり義母は直系の姻族ということになりますので、結婚はできないのです。こういった、結婚できるかどうかという問題については、その他にも離婚や再婚をした場合とか、養子をもらった場合とかに、いろいろと複雑な組み合わせが発生してきますが、そこまで突っ込んで調べていくと、私も疲れてしまいますので、このへんでやめときます。 さて、このような、何親等までの結婚を禁止するかということは、それぞれの国によって違いがありますし、時代によっても結婚できる範囲が揺れ動いたりすることもあるのです。なかには、非常にまれなケースではありますが、近親婚や近親姦が社会的に容認されているところもあるのです。たとえば、シエラ・マドレ山脈に住むインディアンの間では、農作業の事情と経済的な理由から、今でも父と娘の近親姦が普通に行なわれているそうですし、ジャワのカグラン族では母親との近親姦は繁栄をもたらすとされ、カシス族では母と息子の間以外であれば問題なく結婚でき、東アフリカのタイタ族では、経済上の理由から、息子が母や姉妹と結婚することがよくあったそうです。しかし、これらはあくまでも例外的なものでありまして、ほとんどの社会では、近親婚や近親姦はタブー視されているのです。 この近親婚を禁止しようとする圧力の源となっているのが、先に書きましたように社会化という事なのですが、このことは個人レベルについても言えることでして、個人の社会化、つまり個人が精神的に成長していって、社会的な自立を達成するということでもあるのです。もしも、近親者の間で性行為が行なわれたりしますと、親離れや、子離れが非常に困難になってしまい、それが子どもの精神的な成長を妨げることにもなるのです。ですので、ほとんどの社会では、近親者の間に、何らかの境界を設定して、性の秩序を維持しようとしているのです。昔は性の秩序がルーズだった社会であっても、いわゆる「近代化」の波が押し寄せると共に、性の境界が明確にされる傾向があります。そして、このような性の境界の明確化は、同時に近代的な自我の確立を目指すものでもあるのです。 たとえば、最近の日本では、性の乱れが指摘されることがよくあるのですが、近代化以前の性風俗を見てみますと、今の若い人たちには信じられないようなことが、ごく普通に行なわれていたのです。なかでも特に有名なのが、「夜這い」と言われる風習ですが、知らない人もいるかと思いますので、簡単に説明しておきます。これはおもに農村部で全国的に広く行なわれていたことなのですが、年頃になった娘のいる家に、夜中になると村の若い男が忍び込んでいって娘と交わるのです。昔の農村の家の作りは、ごく簡単なものであり、とくに戸締まりもしていませんので、そっと忍び込んでいって、真っ暗やみの中で娘の寝ている布団を探し出して、そこに入り込むのです。若い娘のいる家では、自分の娘の性を村の男たちに解放しなければならなくなるわけですが、もしも拒否したりしますと、村八分ということになって除け者にされてしまい、村に住んでいられなくなってしまうのです。このような夜這いは、嫁選びという意味もありますし、過酷な農作業の合間におこなわれる楽しみのひとつでもあったのです。このような村社会における女の性というのは、男たちの共有財産のように位置づけをされていたのでが、こうすることによって村の連帯感強め、水争いや百姓一揆のときなどに、団結して行動できるようにするという意味もあったのです。しかし、ここには当然のことながら、人権とか、性の自己決定権とかいうものはありません。たとえば、各地にいろんな風習があったのですが、新潟県の三条市の周辺では、明治のはじめころまで「盆かか」という風習が残っていたそうでして、お盆の三日間だけの妻になる人を、くじ引きで決めるのです。男たちは、組み合わせが気に入らないときには、男同士で互いの相手を交換する交渉をしていたそうなのですが、女性には変更する権利は、一切認められていませんでした。 他にも、地方によってはフンドシ祝とか、腰巻き祝とかいうのがあって、親戚の年長者が若者に性の手ほどきをするとかいうのもありますし、あるいは、若い男たちが夜這に行って恥をかかないようにということで、年配の女性たちが神社などに集まって、若者に性交の実施教育をするというようなことも、地方によっては行なわれていたようです。あるいは、結婚していても、厄落としと称して、祭りの時などに夫も婦も見知らぬ人と交わったりするような風習もあったようです。ほかにもいろいろな風習があるのですが、農村部でのこのような性的にゆるんだ環境下では、おそらく近親姦もそれなりに行なわれていたのではないかと思います。全体的に言えば、子供の父親が誰なのかということにあまりこだわらないような、母系社会的な雰囲気が背景にあって、もしも父親の子どもでないことがはっきりしているときには、「祭りの子」などと言って済ませていたようです。しかし、このような淫靡な風習は、明治時代から始まる近代化の波が押し寄せるて来るに従って、しだいに消滅していったのです。 そして、近代化と共に、「近代的な自我」の確立が求められるようになっていくのですが、これはつまり、人間としての、あるいは個人としての、自立した精神の確立が求められるようになって行くということなのです。社会においても、家庭の中においても、性の境界が設定され、性のプライバシーが尊重され、性の自己決定権が尊重され、そして個人の人権が尊重され、精神的な自立が促されるようになっていくのです。しかし、これは一つの理想でありまして、人間の心の中には、暗いドロドロとした欲望が渦巻いていたりしますので、時には歪んで屈折した心が、陽の当たらない場所で、毒々しい悪の花を咲かせたりすることもあるのです。 しかし、1970年代にアメリカで「性革命」と呼ばれる性の解放運動が起こり、それと共に、今まで家族の秘密として厳重に隠され続けて来た近親姦の問題も、その暗いベールが剥がされて、社会の表舞台に登場することになったのです。そして、虐待的な近親姦の悲惨な実体も、世間に知られるようになっていったのです。 私が興味を持っているのは、イスラエルのキブツにおける子どもの追跡調査です。イスラエルの子どもは、国の子どもとして、幼いころから共同生活をしていて、学校の同級生は疑似きょうだい的な関係にあるのですが、転校生を追跡調査していくと、ある年齢まで一緒に生活していた仲間とは、結婚を避ける傾向が見られたということです。ということは、ある年齢の間に一緒に生活した人については近親者なんだという刷り込みがなされて、性関係が回避されるのではないか、ということが言えるのです。その刷り込みが行なわれる年齢がいくつだったのかについては、どうも記憶が定かではなく、また資料も探したのですが、どこで読んだのかも忘れてしまいました。(^^ゞ 直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。但し、養子と養方の傍系血族との間では、この限りではない。 直系姻族の間では、婚姻をすることができない。第七百二十八条又は第八百十七条の九の規定によつて姻族関係が終了した後も、同様である。 解説:上記の条文中に出てくる、他の条項や改正された内容などは、離婚した場合や、亡くなった場合、養子を解消した場合などに関する条文です。 |
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