とばしとは?/ プロミス
[ 168] asahi.com:沖縄の米軍基地、笑いとばしてみる 若手芸人、真剣勝負 - 社会
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「さて今日は、沖縄が独り占めしてきた米軍基地を、特別価格でお届けします。普天間がたったの7千億円!」 ヤンバルクイナに扮した「お笑い米軍基地」の小波津正光さん(中央)ら。車にひかれ、血を流す姿を演じた=東京都新宿区、堀英治撮影 爆笑の渦を暗闇の観客席に残して、テレビ通販社長に扮した小波津正光(こはつ・まさみつ)(33)が舞台のそでに消えた。額に汗の玉が光る。目は笑っていない。今月11日、東京・四谷区民ホール。どこまで基地のギャグが通じるのか。沖縄の若者集団「お笑い米軍基地」が真剣勝負を続けて4年目だ。 東京では、売れない芸人だった。琉球大を卒業後、地元で漫才コンビとして活躍した後に上京。風呂なし4畳半、家賃2万円のアパートで妻と暮らしながら、月に4度のライブに立った。 何をやっても受けなかった。町をあげての甲子園応援。風速50メートルの台風のすさまじさ。面白おかしく沖縄ネタを演じても、だれも笑わない。言葉も生活感覚も違う。まして沖縄戦や基地のことなど、まるで通じない。たった5人の客席に向かって、「何でわからんば。笑えー」と心の中で叫んだこともあった。 だが翌朝の東京紙は、アテネ五輪開幕の記事で埋められ、事故は小さな扱いだった。その日、準備していたネタを捨て、大々的に墜落を報じる沖縄紙を手に舞台に立った。 おまえら、ちゃんと見ろ。新聞を手に客席を走り回ったが、小波津が真剣になるほど、笑いの渦は広がった。 「米軍基地を正面からお笑いにしたい」。その年、沖縄のお笑い集団FECの仲間は、小波津の大胆な提案に戸惑った。 「客の一人でも、『それは違うだろ』といって席を立ったら、もうおしまいだ」。最年長の崎濱秀彰(37)は案じた。容認でも反対でも、基地は沖縄の死活にかかわる問題だ。これまでだれも、お笑いにしたことはない。 FEC社長の山城智二(36)は思った。「世間の関心は薄れた。まともに基地を論じても取り合ってもらえない。反対運動も行き詰まり、あきらめ感だけが募っている。基地を笑いとばそう」 賞金クイズ番組をまねて、司会が地元首長に基地受け入れを迫るコント。米軍出身のビリー隊長が軍隊式エクササイズをしながら、「少し疲れていませんか」と反対派に体操をさせるコント。崎濱の心配に反して、大受けだった。 「いつもの笑いじゃない。ウチナーンチュ(沖縄人)が心にたまったものを、笑いではき出しているみたいだ」 仲間14人の大半は復帰後世代だ。しかし県民の4人に1人が亡くなった沖縄戦の影は、彼らにも及んでいる。小波津の母方の曽祖父母は、本島南部で戦火に命を失った。仲座健太(32)の父は幼児の時に右足親指に銃弾を受けた。金城博之(35)の母チエ子(69)は、生まれ育ったマリアナ諸島テニアン島で、父親の腕を貫通した米軍の銃弾が、抱かれた3歳の弟の命を奪うのを目の前で見た。 かつて本土の若者との意識のギャップに悩んだ小波津は、今は「世界最強軍隊に立ち向かう世界最弱の貧乏芸人」を名乗る。意識のギャップは、それだけでお笑いだ。だからお笑いを通して、本土と沖縄の溝が見えてくる。 「ぼくらは基地容認でも反対でもない。基地は沖縄の特産品。笑いを通して、とにかく沖縄をわかってほしい」 誰にも声が届かない。心の叫びが、笑いにしかならないときもある。そんな沖縄の今を、彼らが背負っている。 asahi.comに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。 |
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