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義務とは?/ アイフル

[ 389] 義務教育の改革案−文部科学省
[引用サイト]  http://www.mext.go.jp/b_menu/soshiki/daijin/04081001.htm

小・中学校の区切り方や小中一貫の導入など、義務教育の制度を弾力化し、地方が多様な教育を主体的に実施。
義務教育費国庫負担制度については、義務教育の根幹を支える財源保障としての役割を明確にし、地方の自由度を更に高める観点から改革。
義務教育は、人格形成の基礎であり国民として必要な素養を身につけるものであって、憲法第26条の定める国民の教育を受ける権利を保障するため、国は責任を果たすことが必要である。義務教育は、全国どこでも、必要な教育内容・水準が保障され、無償で行われなければならない。このような義務教育の根幹(機会均等・水準確保・無償制)は、国の責任でしっかりと担保する必要がある。その上で、教育の実施に当たっては、地方が責任を持ち、学校ができるだけ創意工夫を発揮して行われるべきである。これによって、義務教育はその目的を達成できると考える。
今日、先進各国においても、同じような考え方に立って、国が教育の目標を設定してその水準の確保に責任を負い、その達成のため、国が必要な教育投資を惜しまず行う一方で、教育の実施はできる限り地方・学校の創意工夫を生かすようにしている。
国民に共通に必要とされる確かな学力、豊かな心、健やかな体を養うという義務教育の役割を再確認し、学校教育法や学習指導要領を見直し、義務教育の9年間で子どもたちが身に付けるべき資質・能力の最終の到達目標を明確に設定する。
義務教育の制度を弾力化し、地方が多様な教育を主体的に実施できるようにする。6−3制の小・中学校の区分についても、地方の実情に応じ、例えば、6−3以外の区分を可能としたり、小中一貫教育の導入を可能とするなど、柔軟な制度にする。
教員の資質の飛躍的な向上を図るため、教員養成のための専門職大学院を設置し、大学院レベルで高度かつ実践的な教員養成を行う。
保護者・住民が学校運営に参画し、地域ぐるみで子どもの教育に当たることができるよう、「学校評議員」「学校運営協議会」の全国的な設置を促進する。
すべての学校が教育活動や学校運営の成果について評価を行い、結果を保護者・住民に公表する。教員評価を徹底し、優秀な教員を顕彰し処遇に反映させる。問題教員を教壇に立たせない仕組みを強化する。
教員人事・学級編制に関する権限をできる限り地方や学校に移し、地域・学校が責任をもって学校運営に当たれるようにする。
これに合わせ、教育委員会についても、教育行政の責任ある担い手として、地域の課題に主体的に取り組むよう、その在り方を見直す。
国の義務教育に関する基準を必要最低限のものとなるよう見直し、義務教育をできる限り地方が創意工夫を生かして実施できるようにする。
義務教育の根幹(機会均等・水準確保・無償制)を支え、国の責任を果たすため、教育費が十分に確保され、かつ、地域間の格差を生じることがないよう、義務教育費国庫負担制度については、財源保障としての役割を明確にし、地方の自由度を高める観点から更なる改革を進める。

 

[ 390] 国民の三大義務の見直し
[引用サイト]  http://www.citizens-i.org/kenpo/paper/duty.html

最近、自民党筋から、権利ばかり主張する世の中で、もっと義務の強調が必要だという意見をよく聞く。これに対して、さまざまな意見や反論がありうるが、私は、この際、憲法から市民の義務という考え方を一切取り外してしまうことを提案したい。こうすることで、卑俗な義務強化論は、主張の基盤を失うことになるであろう。
かつて、兵役の義務に関して、それが市民権獲得のための権利ではないのか、という問い直しがなされたことがある。それは、兵役義務を免除される一方で各種の差別を受けてきた女性において、特に深刻な疑問である。上野千鶴子「市民権とジェンダー」(『思想』995号)はこの点についての一つの問題提起になる。兵役においてそれが市民権獲得のための名誉ある権利だとする議論があるならば、納税についてもそういう議論があってよい。今回は、その辺を問題提起したいと思う。
憲法上、子どもの保護者には「保護する子女に普通教育を受けさせる義務」があるために、学校教育法上は、重度の障害で通学が困難な児童がいると、その親に、教育委員会宛に「就学猶予願」「就学免除願」を提出させていた。実際は、そういう子どもの親は就学を望んでいるのに、公教育機関の側に障害児に対応する能力がないので就学できないのであるから、これは、障害をもつ子ども自身の教育を受ける権利と、その子の保護者の教育を受けさせる権利の実現を妨げている人権侵害であって、むしろ政府の側が、「受入猶予願」「受入免除願」を子どもと保護者に出すべき筋合いである。
似たようなことが、民族学校、インタナショナルスクールについても生じる。かつて神奈川県内の某浜市で、帰国生徒が、どこの学校でもいじめにあって転校を繰り返し、最後に、川崎市内の朝鮮人学校に入学したところいじめが解消したという事例があった。ところが、しばらくすると親は、市の教育委員会に呼び出され、日本人でありながら朝鮮人学校に入学させるのは憲法上の義務違反であるから、至急に公立学校に転校させるように命じられた。親は、市内のどの学校でもよいからわが子がいじめられないところがあるのならば教えて欲しいと懇願したが、教育委員会の回答は、いじめられるのは子どもの人格に問題があるからであって、しつけに失敗した親の責任を教育委員会に押し付けるなという叱責であった。
フリースクールについても同様のことが言える。今日では、不登校児とその保護者が教育委員会から国民の義務を果たしていないと怒鳴られることも減り、むしろ、公教育の側が、フリースクールへの出席を学校への通学日数に読み替えて、成績評価もフリースクール側に委任して、卒業を認定する状況にあるが、かつてフリースクールの運動がはじまった70年代には、それに対する蔑視と敵意はひどいものがあった。
そこで、義務教育という考え方を排除したい。そして、義務を権利に、義務教育という言葉を、教育を受けさせる権利に読み替えるとき、問題が全く新しく見えてくることがある。おおもとで教育を受けさせる権利が認められるのであれば、その先に、仝⇒を実現するための学校制度を提供し、その利用の便宜を図る政府と地域の責任が生じ、∪度の利用者である保護者が教育内容を選ぶ権利(学校選択権、教員選択権、科目選択権、教科書選択権)が生じ、J欷郤圈糞擇喘楼莉嗣院砲学校の管理運営に発言し、行動する権利が生じる。地域住民が一体となって学校での子どもの育ちを支援する最近流行の方式も、スムーズに実現できやすくなる。
ところで、労働が「健康で文化的な」生活のために認められるのであるならば、労働そのものが「健康で文化的な」ものでなければならない。雇用の安定や労働の場の安全などは、勤労が権利であるからこそ生じてくる権利である。また、そこから、勤労の成果物を自分と家族の生存の維持に活用する権利も明確に出てくるであろう。労働の成果物が財産となっている場合には、住宅であれ、老後に備えた蓄えであれ、それは、憲法第29条によって、人権としての財産権、「人間に値する生活財」として特に念入りに保護される(今村説)。収用においても生活権補償を含む完全補償が認められることになる。
まず、納税を申告する権利がある。間接税の場合は、納税の権利をどのような形で実現するのかの決定権、選択権がある。どの自治体に納税するか。あるいは、どのNGO活動に寄附することで自治体に対する納税に代えるか。これは別に新しいことではない。昔は君主の提案に対する議会の同意権があった。近代国家では、市民による自主的な決定権の問題となるであろう。
つぎに、税の使い方に対するチェックの権利が出てくる。適正で合理的な支出を求めること、情報公開を求めること、予算に関する国会や地方議会の決定権限を強めること、予算の執行に関する市民的な異議の申し立てを認めること、その他、さまざまな権利が出てくるであろう。この点については、税制に明るい専門家からの発言に大いに期待している。
最後に、ひとつの主張を説明したい。講談社の『日本の憲法 国民主権の論点』に、障害者の就労支援を行っている竹中ナミさんの談話が載っている。その題は、うれしいことに、「チャレンジドを納税者にしたい」である。彼女の活動するNGO、プロップ・ステーションのキャッチフレーズは、「チャレンジド(障害者)を納税者にできる日本」である。ケネディ大統領の言葉である「私はすべての障害者を納税者にしたい」にショックを受けてこうなったそうだが、人間にとって、働いて、納税して、この社会を支えることが喜びになり、誇りになり、権利になるということを、この言葉が端的に表現している。福祉のお金をもらっておとなしく社会の片隅でひっそりと生きるのか、納税して元気に活動するのか。「障害者を納税者に」という障害者運動の声が、納税の権利性を見事に示している。

 

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