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[ 263] 東大で学んだ卒論の書き方★論文の書き方
[引用サイト]  http://staff.aist.go.jp/toru-nakata/sotsuron.html

卒論は習作であり、基準は甘い。対外発表論文では第1条は「他人のアイデアより明らかに優れたアイデア」と厳しくなる。
題目: 説明的なタイトルを付ける。例えば「人体計測装置の研究」では舌足らずであり、「赤外線平行投影法を用いた人体計測装置」とか、「海中でも使用可能な人体計測装置」などがよい。(私の上司の金出武雄氏の方式)。
「どんな議論でも、まずはじめに、異論の無い出発点を提示しなければならぬ」(アポロニアのディオゲネス)
「○○問題に取り組むにあたって参考となる研究事例を見てみよう。それらの研究の、問題設定はこうで、成功のあり様とその理由はこうであり、限界とその理由はこうである。
したがって、○○問題に対して△△までは妥当な作戦として採用し××の改良・補強を考えるという方針が考えられる。」
“限界とその理由”は公平な心で考えないと、単なるケナシになってしまう。その先行研究の方法は、「本研究の関心とする問題には、不都合があり要求性能を満たさない」と言うか、「より妥当な代案がありえる」と言うぐらいになる。
“背景”で挙げた問題範囲を全て解決できるわけではない。どの部分から優先的に着手するのが良いか、考えを書く。宝石の原石をカットするように、問題の側面を切り出して、“検討表”の行にしてみよう。そして、実行する価値と実現可能性を比べてみる。
「極限状況での調理を研究しろ」と言われたら・・・、それをブレークダウン(「何から手をつけるのか」を考える)する。
※方策のアイデアは多いに越したことは無い。奇想天外なものや簡単に思えるものも、何でもいいから挙げてみる。
第3章 道具や作ったものの説明 : 無くてもよい。計画で目論んだ機能を、どのような“からくり”で実現するるかについて、対応付けながら記述する。いわゆるスペックデータであっても、要求機能に対応しない些末な事ならば、ここでは書かなくて良い。
第4章 やってみたこと(実験など) : 第3章と比較すると、ここでは何か特別な目的をもって重点的に行ったことについて詳しく述べる。
「この論文は何によって人々に憶えられたか」を書く。読者がその知人に話す時に、どういう論文を読んだのかを説明する言葉を、ここに用意しておく。(建前は、筆者から読者への主張の要約であるが、それとは少し方向性を違えることが、金出先生秘伝のコツである。)
「シュンペーターは二五のとき、ヨーロッパ一の馬術家、ヨーロッパ一の美人の愛人、偉大なる経済学者として憶えられたいといった。しかし、亡くなる直前の六〇の頃、同じ問いを再びされたときには馬のことも女性のこともいわなかった。インフレの危機を最初に指摘した者として憶えられたいといった。」(ドラッカー、『非営利組織の経営』)
謝辞: 研究指導者、研究資金源への謝辞。○○○に迷った・困った時に、誰に▽▽▽と教えてもらった、など。研究過程の実態がにじみ出るので、非常によく読まれる部分である。
本数が足りないなと思う場合は、大型書店に行き、専門書の本棚を眺めてみることである。東京なら、東京駅の八重洲口南の八重洲ブックセンターと丸の内北口の丸善丸の内本店、神保町書店集中地帯(書泉グランデ、三省堂、東京堂書店(本店の方)、明倫館(古書洋書))、池袋東口(ジュンク堂、西武デパート書籍館)、新宿の紀伊国屋書店(複数店舗あり)、などである。必ず関連する本が見つかるはずである。関連する本を全部買うことはできないが、分野の歴史を調査できる。(たいていの本は図書館にあるので、新刊書を急ぎで精読する場合以外に、無理に買う必要は無い。大型書店が優れている理由は、自治体図書館より横書きの本の量が多いこと、大学図書館より新刊書が豊富なこと。)
最近の研究に関する文献を充実させるには、講演会などの2ページ程度の短い論文でもばんばん集める。WWWページでもよい。
付録資料: 図面、装置の操作方法のコツや、失敗したこと、論文には結び付けなかった仕事や実験、プログラムリストなどを、後輩の助けのために付ける。卒論審査には関係ないので、審査後に製本する際に差し入れて間に合う。あまり早めから差し入れると印刷が大変になることもある。
「全体のアウトラインを決める」(結論表を作る。結論表から目次を作る。各部分で何を書く予定か箇条書きにする。)
「ある部分の8割が書けたら、他の部分の執筆に移る。10割の完成までは険しい」(浮気者の原則アゲイン)
「客観と主観を同一部分に書かない」(「この値は7だった」と書くのはよいが、「この値は7と大きく素晴らしい」と書くのはダメである。)
「同じことを2度書かない」(同一の内容が複数回表れるのはダメ。同一の事柄について述べるにしても、見方や詳細度を変化させて書くこと。
謝辞:ウォーミングアップ。とりあえず書いておく。卒論のファイルがコンピュータ上に出現するので、心理的に勢いがつく。
読者が使いたくなる結果が載っている論文。(たとえ発想が平凡であっても、データが優れていて、同業者はこれを引用しないわけにはいかない論文。)
読者になるほどなと思わせる論文。つまり、読みやすく、分りやすく、結論が自然であるのに、類例がない論文。
執筆中に指導教官や同僚には、なるべく見せない。(「他人の文章の善し悪しはわかるが、自分の文章はわからない」(宮脇俊三だったかな?))
グラフはExcel様のなすがままに、いいかげんに作る。(グラフの軸目盛で有効数字を表現する方法って絶滅寸前か。)
精度とノイズレベルも曖昧に。(特に文系・マスコミの人は、測定誤差がデータの構成要素であることが理解できない傾向がある。誤差というと自己否定にしか思えないらしい。米国の世論調査にはノイズレベルが明示されている。日本だと○○党1%有利などと平気で言う。
一点買いは単純明快だがリスクが高い。多点買いの戦略理論はプロ好みで奥深い。誤差の素性を把握してこその戦略である。)
テーマの平凡さを、道具のすごさで誤魔化す。(最新のソフトウエアテクノロジを使ったり、値段の高い実験装置を使ったりすると、見栄えがよくなる)
テーマの平凡さを、数式のすごさで誤魔化す。(文字はなるべくギリシャ文字を使用し、積分方程式で記述。一見難しそうに見えるが、実験の際には変数を定数であると強引に仮定すれば逃げられる。)
筆者がとある(粗製濫造気味の)論文を書いていた時、金出武雄先生に見てもらった。その時に論文執筆に関する金出理論をいろいろ教えていただいた。
★見出しについて(1):見出しの呼応関係をチェックする。見出し一覧だけの表示にしてみる。(ワードならアウトラインモードレベル3表示。Texなら目次作成など。)見出しだけ読み進めて内容が類推できるか?突飛な話題変更や話題の断絶がないか確認する。
見出しは説明的でなければならない。ありふれた「序論」とか「方法」というのは内容が不明である。(もっとも心理学の学界などでは、論文構成の統一のために、見出しが固定になっていることもある。)
★見出しについて(2):論理展開のスピードは、ある程度一定でなければならない。論文の前の方で一般的な議論をゆっくりやっているのに、後半になって急に特定の実験に関する細かい説明を大急ぎにやると、読者はついていけいない。実際に自分がやったことに無理なく話題が収束するように、話題を予告・誘導する必要がある。論文題目名を例えば「大きな事:特定の事」と副題を添えた構成にすると、話題が予告できる。
★見出しについて(3):章・節・サブ節とつながる時に、章見出しの後にすぐ節見出しが来るのはわかりにくい。間に説明を入れること。
高速配達郵便とは、新技術を用いて通常より速く配達する郵便である。主に、気送管郵便、航空郵便、電送郵便が用いられる。
★文章間のつながり:文章の論旨の飛躍を防ぐために、章と章、段落と段落、文と文の間で、次の2つの継承に気を配る。
(1)頻出単語の連携:盛んに使われている単語を抜き出してみる。前の頻出語と後の頻出語は、内容的に関連性のある言葉か?内容的に突飛ではないか?
★読者の注目度:読者の関心は、冒頭が最大で、中間は中だるみし、終わりに少し持ち直す。よって、論文の頭、章の頭、段落の頭が、最も注目される。ここで、内容を大づかみかつ明解に説明するべし。判ってもらえないと、次の段に読み飛ばされる。
★ストーリー展開:論文には物語性がある。「私はこう考えました。こうやってみました。するとこれが解りました」という研究物語になっている。このストーリー展開を乱すものは、途中での詳しすぎる説明や、内容的な蛇足である。論文の明解さを保つために、これらは付録に回してみることを検討せよ。
この論文はたった13行しかないが、科学史に残る極めて重要な論文である。“重要”とは、よく引用される論文という意味である。
第2次世界大戦中、英国首相チャーチルは、日々送られてくる膨大な文書を選別する基準として、「1ページをはみだした文書は読むに値しない」と、捨ててしまったそうである。簡潔な報告書は、内容の価値が高いのである。
字は大きいほうが読みやすい。紙の無駄になるが、文字の大きさは12ポイントぐらいが良いと、私は思う。行間は1行とばし程度が、添削する上でも便利である。年配の教官や審査員が読むことを考えると、この書式が良い。会社や役所で偉い人に読んでもらう内部文章もこの書式が多い。(ちなみにデキる社員は、必ず読んでもらいたい部分に赤線を引く。)いかにも原稿という雰囲気がする。よく読んで考えてみようという気になる。
(この組版、学生は雑誌や文庫本しか活字に馴染みがないのか、妙に受けが悪い。まあ結局は、大学当局が定めている書式の規定に従う場合が多いのだが。)
「君、普段はもっと素直な文章を書くでしょう? せっかく面白いの書けるのに個性殺してちゃ勿体ない」(祐天寺良一)
みうらじゅん先生は、腱鞘炎の苦痛を克服しなければもの書きにはなれないと言う。長文の作成は手に負担がかかる。特に悪いキーボードを使っていると、手が簡単に壊れてしまう。USB接続キーボードはそれほど高価ではない。パソコン付属のキーボードそのまんまはやめて、良いものを選びたい。私の考える要件は次のとおり。
持ち運びやすい大きさと重量であること。(出先で使いたいので。ただ、“人間工学的”キー配置のものは、たいがい大きい。)
ワープロ系ソフトは動作が遅い。図や写真を含む長い文書になるとイライラするほど遅くなる。画像処理関係のソフトも遅い。これらのソフト立ち上げ前に、メモリを掃除するフリーソフトを使って、徹底的にメモリを確保するのがよい。(軽快なエディタでやるというのも一つの手である。が、アウトライン編集機能、図表の取り扱い、スペルチェックなどの機能を考えると、二の足を踏む。)
(短所) 歴史が浅いのでまだまだ動作不安定。パチモンゆえワードの長所も欠点もそのままなぞっている。
例えば、thinkfreeなど無料でやっているところもある。パソコンはもちろん、ファイルまで持ち歩く必要がなく、ファイルの紛失・盗難に対しては良いかもしれない。今のところ私は必要が無いので使っていない。
(長所) 操作が簡単。スペルチェックとシソーラス(!!!)機能がある。普及率が高い(未来の職場においてもファイルを読める可能性が高い)。図や数式の貼り込みが直感的に出来る。パソコンを買うとセットで付いてきていることが多い。
よくレイアウト関係のトラブルに対する助言として、「テキストボックスを使え」とか、「アンカーをうまく設定せよ」とか、「プロパティーを開いて、レイアウトを行内をやめて四角にせよ」とか、「文字列と一緒に移動するのチェックボックスをオフにせよ」とか言われるが、何をやっても駄目な時は駄目である。まあ卒論はページ数の制限がないので、潔くダサいデザインを甘受する。
図と表の配置が崩れる症例: Aさんのパソコンでは図表はきちんと配置されていたのに、Bさんのパソコンでは配置が崩れてしまう場合。→選択されている「プリンター」の違いによって、組版が影響を受けることがある。共通のプリンタドライバを選べば、治る。
(長所) 操作が簡単なわりに、複雑なこともできる。文書作成ソフトのなのでは一番バランスが取れているのではないか。簡単にPDFに変換できる。タイポグラフィなど見映えに関する機能が真面目に整備されている。
(短所) 価格が高い。普及率が低い(相手に読ませるだけならPDFで渡せば良いのだが)。複雑なことをするには練習を要する。エディタ部分が貧弱。
(長所) 数式が美しく、番号整理も自動で便利。学会誌でもLaTeXの原稿を受け付けるところが多いので、学会誌投稿の場合に原稿ファイルの流用ができる。テキストエディタは自分の好きなものを使える。基本的に無料で使える(自宅PCと学校PCの両方にインストールしても金がかからない)。
(短所) 難しい。あれもこれも出来る反面、あれもこれも命令名を知らないと出来ない。バージョン違いや方言が多く、これを克服しないと1ページも出来ないことがある。またエラーの表示内容が、時代遅れ・不親切・意味不明である。インストールの設定が面倒(PC買い替えごとにインストールするのは意外と面倒である)。ソフトウエア部品の権利関係が複雑で、環境一揃いを一発インストールができない。書類のスタイルを変更することは素人には難しい。スペルチェックがやりづらい。参考書に金がかかる。いつまで流通するのか不安。分野によって普及度がまちまちである。一般の人はまず知らない。
コンピュータ上での英文作成上の呪いとなっているのが、これら引用符の文字処理、文字コードの問題である。古くは、タイプライタのdumb
この欠点はしばしば致命的であって、英文をワープロソフトでつくり、PDFに変換すると、アポストロフィやクォーテーションマークが2バイト文字として符号化されることが多い。(引用始まり(“)と引用終わり(”)を区別する1バイト文字がないからである。)2バイト文字は外国で読めないこともあるのになぁ。
下手でも気にするな。 「弱い犬ほどよく吠えるって言うけど、何にもしないよりはマシなんだぜ」(尾崎豊)
凝るな。凝ったアイデアより素朴なアイデア。問題に突き当たったら、直接的で露骨な力技に走るよりも、問題の前提を洗い直す。問題を分解する。「AもBも行うもの」は得難いが、バラバラにできるなら簡単になる。いっそAなしでBは出来ないか。思考の惰性を無くす。
実験の目的、つまり「何を確かめるか」を明らかにして、それを確かめるだけの必要最低限の実験を計画すべきである。計画には智恵を振り絞ること。
重要度が乏しく、理論で充分な予測と説明が可能な現象は、実験すべきでない。しかし大抵の現象は、こうした常識的に予測できる(と思われている)現象であろう。
「やってみなければ判らないこと」と、「やらなくてもいいこと」の嗅ぎ分けはどうすればよいか。次の格言を銘記されたい。
予期される想像データを書き込んで論文を先に仮仕上げする。(全体にわたって1割程度書いて止める。)それをみんなで読んでみる。データはちゃんとした証拠になりえるだろうか?論文のレベルは充分だろうか?やるべき実験が明確になる。
この戦法は、職業研究者にとっては常套手段。研究費申請書などの目論見書(=実測データが無いことを除いては実質的な論文)を書いてから、証拠として必要かつ充分の実験を行う。
(ランドシュタイナーだけでなく、渋谷陽一も「架空インタビュー」というのをやっていた。これが読者にうけた。単なる予想をはるかに超えた、詳細まで詰めて考えた想像は、価値がある。)
しかし、この手間を省く人が多すぎる。大学では、卒論開始後半年ぐらいすると中間発表会なるものが開催され、それまでの進捗を発表する。このときに想定架空データを書き入れないと、無意味である。「想像の段階だが、詳細はこうなると思う」と主張しよう。
実験で事前予想に反する結果が得られることがある。これは好機である。実験のやり方がまずいか、自分の立てた仮説がまちがっているかのどちらかであり、これを直していく努力こそが本当の研究である。優秀研究とは、「なんでうまくいかんのか?どこまで考慮の範囲を広げるべきか?この場合はどうなのか?」と突き詰めている。 (大島弓子の『雛菊物語』はそんなマンガ。)
「自然の真理を知りたければ、優しく尋問してもだめである。自然を拷問にかけるべし」(ロジャー・ベーコン)
極端な例にて実験した方が、平凡な条件で実験を重ねるより、真理が露呈しやすい。「ともかく、ちょっと実験してみるか」と思ったら、まず極端な実験条件で試してみるべきである。メートルをミクロンに、グラムをトンに、一部を全部に、プラスをマイナスに、欠乏を過剰に、etc。
小樽港百年耐久性試験のように、19世紀から現在まで続いている実験がある。データが素晴らしい研究である。速戦速勝といっても、実験期間そのものが短かければいいのではない。無駄なことを実験しないで、価値のあることを追求することが良い。(類例:ラボアジエは水を101日間煮続け、四元素説を覆す。)
「林檎は、まあ三メートルか四メートルの高さから落ちたのだろうが、ニュートンは、それが十メートルだったらどうだろう、と考えて見た。だんだん高くしていって何百メートルという高さを考えて見たって、やはり、林檎は重力の法則に従って落ちて来る。とうとう月の高さまでいったと考える。それでも林檎は落ちて来るだろうか。偉大な思いつきというものも、案外簡単なところからはじまっているんだね。ニュートンの場合、林檎を、頭の中で、どこまでもどこまでも高く持ち上げていったら、あるところに来て、ドカンと大きな考えにぶつかったんじゃないか。」(吉野源三郎、『君たちはどう生きるか』)
「みんなと逆のことをやれば、だいたい正解である。大多数の人間は間違っている」(マーヴィン・ミンスキー。金出武雄「素人のように考え、玄人として実行する」より)
(もっとも科学史は残酷であって、輸血実験を自分に施して死亡したボグダーノフ農相の例のように、死屍累々の期間もある。)問題の前提を洗い直すことがコツである。例えば、永久機関は不可能であるが、実質的に同等な無料機関(太陽電池駆動や自動巻時計など)は可能である。
さらに、技術の進歩はすさまじく速いので、既に正攻法で解決可能な問題であっても、不可能と見なされたままのものも多い。
「あぁ、出来るんじゃないの〜」と言われる研究テーマは、既に誰かが先に手をつけていたり、レベルが低すぎて論文にまとめられないことが多い。難題テーマで討ち死にしてもその報告論文は、「こうすると、どうしてダメだったか」が分かり、科学的価値がある。平凡テーマで他人に先を越されると報告が成り立たない。
【豆知識】 国産陶磁器の国宝は5点しかない。その一点、国宝「秋草文壺」は、平安時代の作の骨壷で、平凡極まりない。国宝というと、野々村仁清、姫路城天守閣、空海の真筆、長谷川等伯の松林図屏風などのレベルであるのに、この壷は地味すぎる。実はこの壷、当時の世界(日本・中国)の常識に反して、意匠化されていない写実的な秋草の絵が描いてあり、画期的であるから国宝なのである。
これは数学のペーパーテストを解く際の常識的テクニックである。数学の成績がいい人は、こんな考え方をしやすい。
2)【必要に迫られて】 工学の特定の題材では、等式の数が不足することがある。この場合、数式に違反しない何かテキトーな数値を、コンピュータに自動ででっち上げさせたい。(人手でやると面倒なので。)
他人に「理論的に不可能」と言われようが、絶対にできると確信できるかが最難関である。確信できれば、誰でもそれなりに考え始められるのではないか。
もしあなたが作った実験系が、湿度の変化に敏感で挙動不安定のため、実験に失敗したとする。ならば、現象と湿度の関係解明の研究にしてしまえばよい。
『湿度は統制できないが計測できる状況で、実験を繰り返し、関係を明らかにする』などが善後策として考えられる。)
「あれもこれもやる」という実験は、やってみると難しすぎることがある。作業全体は追わずに、不明確な部分の探求に限って実験し、成果を手堅くまとめた、一見地味な研究が、後の世で評価される研究であることも多い。後追いで研究に参入してくる人が、絶対に知りたがるデータを残すことが大切。
鉱石(金属を多く含む石)は、部分的に電気整流効果(電流を一方向にしか通さない)を備えることがある。天然のダイオードである。むかしの鉱石ラジオは、この天然ダイオードを使っていた。整流効果があるところを探して針金を当てるという調整を行う必要があるので、鉱石がむき出しになっていた。
ある研究者は、整流効果が生じている接点の周りでは何が起きているかを調べようと思った。そこで、接点のまわりに電圧計の探針を当てて、電圧分布を調べようとした。
pnpトランジスタの記号は、この実験の様子を写実的に描いたものである。(実際には鉱石ではなくゲルマニウム結晶を使用。ゲルマニウム結晶は三角形の形に切られていた。探針も改良のすえ、切断した金箔を使うアイデアにたどり着いた。)
本研究が世界に及ぼした影響は・・・。トランジスタが特許化されなかった理由は・・・。トランジスタの発明者は誰になるだろう?
A:考えを明晰化することです。「なんとなく」、「たぶん」、「出たとこ勝負」、「憶測だが」、「類推して考えれば」というアヤフヤな考えを、ハッキリさせることです。難しい用語を使ってレトリックでごまかすこととは正反対です。
A:それまでに誰もやっていない学問を行うことです。新奇な題材を学問するパターンがひとつ。また、ありふれた研究題材であっても、前人未踏のレベルまで考えを明晰化するというパターンもあります。題材の応用先を広げるという形もあります。
【存在意義を考える】 それにはどんなメリットがあるか? メリットとデメリットのバランスはどうなっているか? それが生まれた理由や継続している理由はどのように説明できるか?
【メカニズムを考える】 それは、どのように運営されるか? 要因や因果関係はどうなっているか? 一手一手はどこまで細かく分析できるか?
【習得を考える】 それはどのように習得されるか? 経験と性能との関係はどうなっているか? 教育方法や導入方法はどうなっているか?
【変遷を考える】 それは昔はどうだったか? 未来にはどうなるか? どうすればより良くなるか? 何を淘汰し、何によって淘汰されるか?
研究における現代の悲劇のひとつに、グラフ作成が機械任せなったということがある。機械任せのズサンなグラフを見ることが多くなっている。
なぜ、最大最小点を追求するかというと、まずそれは実用上重要であるし、また関数の同定に決定的に重要であるからである。
データXとデータYとの関係を観察したい場合は両対数グラフを用いる。両対数グラフの上で近似直線を引けば、相当正確な関係式を推定できる。
昔は、「片対数グラフ」も「両対数グラフ」も専用の用紙が売られていた。ただ、正確で精細な印刷をする必要があるので、わりと高価だった。最近はパソコンに取って代わられ需要が激減し、あまり売られていない。
特許係争やデータ捏造事件を受けて、研究ノートを組織が管理する時代になってきた。いわゆるLaboratory Notebook は専用に作られたものである。堅牢にできている。ページ番号が振ってある。方眼罫である(やはり紙が薄い)。重くて持ち運びに面倒なのが難点(機密のノートを持ち運ばせないための工夫とも言える)。一般文具店での入手は困難だが、大学の文房具売り場には置いてある。まぁ、研究室の方針でこれを使えと言われれば使わざるを得ないが、普通のノートでも充分である。
ペンは、筆圧が軽くてすむもの。直液式ボールペンか、3000円ぐらいの万年筆がよい(安いものや高いものは酷使するに難がある)。色はブルーブラック(印刷の黒と自筆部分の見分けができる)。
研究室に来たら、パソコンの電源を入れる前に、ノートを開き、仕事のリストを書き出して欲しい。なし崩しに取り掛かるのでなく、間を持たせることが重要である。わびさびの世界である。
データの保存を、パソコン上だけで済ますのは安全ではないし、考えたことや、データ価値への見解と、一緒に一覧できないという不便がある。せめて、グラフや代表値(平均と標準偏差)ぐらいは、ノートに貼っておこう。
文法的に完全な文を書く必要はない。キーワードを、線で結んだり、丸で囲むことで、思考を2次元的に展開する。
※ 使ったページの肩を切り欠くと、書き始めるべきページの探し出しに便利である。パラパラめくらないですむ。これはノートの耐久性を著しく向上させる。
アイデアの発想法は様々提案されているが、私の経験からして一番効果があったのは、散歩法である。アリストテレス、楳図かずお、両先生ご推薦である。
散歩は、血流を増大し、神経伝達物質を調整し、副交感神経を昂進させリラックスさせる効果がある。こうして前頭葉の活動を柔軟かつ適度に活発にする、のではないかと私は思う。
寝入りの時にも、副交感神経が昂進する。(喘息発作の原因ともなる。)このため、寝入り時にもアイデアがよく浮かぶ。内崎巌先生曰く、枕元に紙とペンを置くようになって、寝ては思いついて起きを繰り返すようになると、それは“研究中毒症状”である。過労死しないように注意。
欧陽脩は、アイデアが浮かぶ場面は「三上」であると言う。それは、馬上、枕上、厠上であって、要するに乗馬(=散歩)、寝入り、便所の三場面である。副交感神経の昂進が起こる代表的場面である。
考えるべきことをメモ書きする。キーワードを矢印や線で結んだ、チャート図の出来損ないみたいので充分。字は汚くてよい。
もうひとつ有力な発想法は、「人に教える」ことである。煮詰まっている問題について、他人に向かってレッスンする。レッスンといってもあまり格式ばらなくても良い。自分の考えのデバッグができる。
「俺は幅跳びの名人だ。ロードス島では誰よりも遠くへ跳んだ。大勢が見ていたから、証人になってくれる奴もいるさ。」
工学部X号館XX教室。教壇にスクリーンが設置され、プロジェクタでパワーポイントを投影する。最前列に審査員の教官2名。机には、発表の点数をつける名簿と、卒論の製本原稿、タイマーとベル。その他の席には、審査を待つ学部4年生がぎっしり。みな緊張している。最後部の壁際には、見物にきた研究室の先輩達がちらほら。
教官「えぇ、これより卒業論文諮問を執り行う。順番が来たら速やかに発表を開始するように。機材の調整のための時間のロスも、発表時間に含めるので注意すること。発表時間はきっかり15分。時間が来たら途中でも発表を打ち切ること。質疑応答はその後5分間である。聴衆も質問をしてよい。よろしいかな?では1番!」
学生1「はい、学生番号1番の△△△△であります。私は「無限軌道を用いた陸上空母の移動機構」について発表いたします。まずは、ビデオをご覧ください・・・・」
こうした機材関係のトラブルは例年のことである。卒論執筆に追われて、事前のリハーサルをする余裕がないのだから。
学生2「今後の日本の社会構造から致しまして、オンデマンド生産の購買層が増加する傾向にあるといえます。ところが従来の小売物流部門においては、物主体の販売戦略がとられ、情報の非対称性が・・・・」
学生4「本システムでは、ラジアル方向の密度勾配を仮定しておりませんので、タイムインバリアントなニュートン流体に限っていえば、センサを配置することも可能です。圧縮性流体では…」教官「YESかNOか!」
良いプレゼンは、メッセージ(結論)で聴衆を挑発する。テーマの宣言がほとんど冒頭。好奇心を煽る。なぞなぞ的。盛り上がれば勝ち。情報伝達ではなく、聴衆に思考させることが真の狙い。オシム語録。
「この本は、既に似たようなこと事を考えたことのある人以外には理解されないだろう。だから、この本は教科書ではない」(ウィトゲンシュタイン)
昔の音楽は単純な繰り返しが多い。まぁ、飽きる。バッハの「シャコンヌ」のテーマは冒頭を占めて以降は、このテーマを中心にして複雑に変化し、しかも全くぶれない。論文も研究人生もこうありたいものである。
なぞなぞと言えば、いわゆる“複式夢幻能”はその最たるものである。前半に明らかに怪しい人物が登場し、後半でそれが何かに化けるというお約束である。怪しすぎるので「志村、後ろーっ!」と言いたくなる。前後場の間で事情を説明する“アイ”という役が登場するのだが、この人、前場から舞台にもともと座って、じっと待っている。こんな人も怪しい。怪しい人物の配置は、連載モノの漫画やアニメではお馴染みの手法。
怪しげなモノを中心に置いて、それを中々説明しないという方法は、おもいっきりテレビなどでも見られる。
タモリさん、高橋さん、八嶋さん、こんばんは。最近、アニメを自主制作していた時に思ったのですが、自動でBGMは作れないのでしょうか?
つまりこうゆうことになります。アニメの画像特徴とセリフを元にして、自動作曲アルゴリズムを走らせると、○割の人に受ける。
まあ、従来の画像編集ソフトは無難な曲を選ぶ方法で満足度3割だから、この方法なら6割じゃないかな?
アニメに詳しい兄山先生に聞いてみた。アニメの場面は、緊張、のどか、快、不快の4類型から成り立っています。類型は画面の色やセリフから分かります。それらを作曲アルゴリズムの入力とすればそれなりにふさわしいBGMができると予想されます。
題材は標準的なアニメ、木直田まさし著「ソツロン君」を使うといいでしょう。この場合、20人に評価してもらえば、充分確かな証拠が得られると思われます。
実際にやってみた。作曲アルゴリズムにはクセナキス型確率音楽生成ソフトを製作。実験条件は、3種類を用意。(中略)良いと評価した人は20人中14人だった。
こうして、また新たなトリビアが生まれた。アニメの画像特徴とセリフを元にして、自動作曲アルゴリズムを走らせると、7割の人に受ける。
キャラの顔表情も考慮しれば、もうちょっと点数上がるよね。シリーズ化して時代劇でもやってみたいね。
なかでも、「トリビアの種」の様式が使いやすい。難しい理論に感心するのではなく、「やってみるとどうなるか」という知識欲の興奮がメインになっている。直感的に感動してもらえる発表にすることが肝心である。
発表時間について。「トリビアの種」は正味10分もない。学術発表で10分というのは、限界ギリギリの短さである。テレビのプロは如何に巧みかが分かる。学生も、この域に達するべきである。1秒を惜しむ気持ちで、細部までこだわって発表資料を手直し、練習を重ねること。特に下記のことを心がける。
基本: 発表スライド草稿を見て、テレビ番組ならここはもっと直感的なテクニックでプレゼンするのではないか、と疑ってみる。
内輪にしか通用しない用語や略語の排除。漢語から大和言葉への言い換え。話し言葉では、例えば、「性能が高い」→「出来ばえが良い」としたほうが、スッとわかりやすくなる。
なお、発表のテクニックは、先生ごとに意見の分かれるところであって、研究室ごとに流儀がある。(複数の研究室を経験する意義は、ベターな発表方法を習得するという点にもある。)
例えば、「目次」のスライドをわざわざ見せる流儀の先生もいれば、目次不要論・目次有害論の先生もいる。学生は混乱する。
ちなみに私は目次有害論者である。あれは「カイシャのジューヤク会議」の流儀であって、「社外向け戦略的プレゼン」とは言えない。
山本周五郎の「樅ノ木は残った」の冒頭を読んでみてください。無予告、無説明、暗闇の中の強制的進行が、どれほど聴衆の関心をつかむか。
「僕たちは、街行く人が足を止めてくれるように、できる限りのことを全て行って、一枚のポスターを完成させた」(ウラジミール・ステンベルク)
三通目は、雑誌編集部から。貴殿を当社専属の報道写真家として雇用し、ヨーロッパ戦線の取材を依頼する。支度金同封。船は48時間以内に出発の予定。
敵性外国人が取材できるわけはないが、金が無いので返事もできない。支度金に手を付けて、朝食を食べちゃった。さて、どうしよう。
役人に、この三通を何も言わずに見せた。一通目は移民局からの通告。役人は無表情。二通目は雑誌社からの手紙。ニヤリ。三通目は電話会社からの通告。さて、どうしましょう。
打開すべき状況。解決への障害。解決への糸口。これらを説明しきっている。四の五の言わずに説明できるものなのだ。(出来すぎである。おそらく創作だろう。)
ダンスの“まことクラヴ”の公演で、舞台に本物の営業中のタクシーがやってきて、ダンサーがそれに乗って去って終わりというのがあった。あ、ネタバレか。
今思い出したが、東大には駒場小劇場というハコがあった。この劇場は駒場寮の中にあり、東大最強と言われた寮委員会が支配していた。外部からの統制は不可能であった。
寮委員会は、寮の美観や耐久性をすでに見切っていて、壊れる前に使い倒そうという方針があったように見えた。舞台に水を張って芝居をするなど、普通の劇場では絶対に無理なことが出来たらしい。
あがること、つまり不安神経症の克服には、「フランクル回想録」や「死と愛―実存分析入門」に書いてある方法がおススメである。
手順その1【不安の正体への洞察】: 「不安感情を持って発表を行ってはならない」などと一体誰が決めただろうか?「一字一句、言いまちがえてはいけない」という法律でもあるのか?
手順その2【逆説的自己暗示】: 「私の発表はぎこちないだろう。いままでも、そうだったのだから。今日もそうなるだろう。緊張で舌が回らなくなる!汗が滝のように出る!よし、今日は1リットル汗を流してやる!聴衆がびっくりして凝視する!そこへたたみかけるように、支離滅裂な説明をぶつけてみる!思わず、『とにかくゼータ関数の非自明な零点がナッシュ均衡を意味するのです!』と口走ってしまうに違いない!救急車が呼ばれる!でも俺は止まれないだろう!どうだ、まいったか!人間がどこまでプレゼンでトリップできるか、見せ付けてやれ!」と自己暗示をかける。(映画「ビューティフル・マインド」より)
効き目はあるの?: 「フランクル回想録」によれば、尋問中の親衛隊将校に教えてあげたら効いたらしい。そのお礼なのか、フランクルの家族は、最後の番で、強制収容所送りになった。
「ある広場恐怖症患者は、家を出るときに玄関の鏡の前で、自分の姿に向かって帽子をあげて、『では私のノイローゼと一緒にこれから出かけてまいります』といって自ら笑ったという。このようにして、症状に対して態度を変え、距離をとることができたのである。」(フランクル「死と愛」)
卒論研究は教育訓練であり、研究成果の質は問われない。(「何を考え、何をやり、何が起こり、何が分かったか」を報告すれば満点である。)したがって、本来は不正をする理由はあまりなく、学生の見栄程度である。しかし、卒論→口頭発表→学会誌発表→学界的権利化(研究資金の申請、学生の進学先や仕事のポスト探し)→金銭的権利化(特許や製品化)と進んでいくと、不正への誘惑が増し、事件性も帯びてくる。
知的財産権の窃盗:アイデアを考えついた人に発明の権利が付与されるという法を破ること。職務発明は慣例や法解釈が変化しつつあり、青色LED裁判などで注目されている。学生の発明については、学生の権利保護のための制度化が遅れている。
不正が露見すると、対外的信用失墜、就職取り消し、研究資金申請の禁止などの罰が待ちかまえている。研究者としては事実上の死である。
しかし、不正を実態的に防止するための、取締り法・規則、不正告発を受け捜査する専従組織、業績の正当性を保証する学会制度、研究者の意識などはかなり不十分である。ばれない、すぐにはばれない、ばれたとて大したことないと、制度の不備が誘惑を助長している向きもある。
「嘘をついてもどうせ追試や実用化段階でばれるから厳重な検査は無用」と楽観して、どこの国でも防止策がまじめに考えられてこなかった。だが現実の事件に多いのは、
「データの偽造ではなく、正当なノイズ処理なのだ」(事後にノイズ処理法を選択してはいけない。実験前に処理方法を確定しなければいけない。不利なデータの存在を隠してはいけない。)
「たまたま今回の実験では調子が悪かっただけで、理論上はうまくいくはずだから、願望のデータを書いてもいいのだ」(だったら実験をやり直せ。投稿の機会は後にいくらでもある。)
2005年9月14日の新聞報道によれば、当時、東大教授でまた産総研センター長でもあった研究者が、Natureなどに発表したRNAの研究論文に正当性の疑いがあるとのこと。生データ(計測ホヤホヤで未加工のデータ)が提示できないというから、願望データかしら。数年にわたり12本もの論文を願望データで作れるものなのか。教授は「担当者は再実験できると言っている」と言っているらしいが、これは“幽霊著者だったのは認めるから、トカゲのしっぽ切りさせて”作戦。(「私が実験した時はそうなった!私は見た!」と徹底抗戦するのが筋。責任著者なんだから。一流誌に載るほどの優れた実験結果なら、著者でなくても「現物を見せて!やって見せて!」となるはず。研究員とボスは、実験机の前で現物と研究ノートをつつきながら議論すべし。)
トップの科学者による一流誌上での捏造論文事件例はきりが無い。ウンウンヘキシウム元素捏造事件(2002年)、
こうした不正を助長する大きな要因に、論文の著者リストのシステムがある。貢献と責任の順に著者を並べるのであるが、順序だけならごまかしが効く。(この点、米国特許庁は厳格で、幽霊発明者が混入している場合は、特許を取り消す。)本来なら、映画のエンドロールのように、○○さんは何を考え付きました、□□さんは何を計画しました、△△さんは何を発見しどう解釈しましたと、説明を伴って記述すべきである。(最近、新聞や雑誌上で、論文捏造の防止法について、いろいろな意見が提起されている。だが、著者リスト制度を改めるというシンプルな意見は見受けられない。ここが急所だと私は思うのだが。)
誘惑は常にある。研究指導者は、学生がデータにごまかしをしていないか、かなり厳重に監視する必要がある。
誘惑にかられている学生は、無理をすることはない。不成功なら不成功なりに報告すればよい。「どこまでは目論見通りにいった」と発表できる。(そもそも、大抵の研究発表とはそんなものだろう。成功か失敗かは世間への影響を見てないと本当はわからない。)1年や2年、留年して研究をまっとうに仕上げる道もある。研究室を変えるもの楽しい。中退でも高学歴である。不正はネットにいつまでも書き残されるのでキツイ!
研究者の成果評価の方式も変わろうとしている。かつては一流論文誌に多くの論文を掲載することだけが評価された。Natureなどに載ったら万々歳だった。インパクトファクターなる数字が持てはやされた。過騰競争だった。だが事件に見られるように、この評価方法は(細分化された科学の論文は査読が難しいため)信頼性に乏しく、誘惑も大きい。今は、研究の実用化、実社会の問題への学者の参画、出版やメディア露出、一般人を巻き込んだ活動など、世間のお役に立つこと・影響を与えることを評価するように変わりつつある。「料理を作ったら、自分で毒見して、自分で売ってこい」というわけである。この評価システムで、効率が良いか、精度が高いか、学者像としてどうなのかは分からないが、しょうがない。
「わたしは学者業をつづけておりますが、この種の職業では広く他人の教えを受け、他人に自分をさらけ出さねばなりません。だからこの職業には、秀才意識は邪魔になります。」(森嶋通夫『学校・学歴・人生』)
学会によっては、この方法が多数派になっているところがあるので深刻である。これはなんとデータの改竄に当たる。世間にあまり知られていない、データ改竄形態なので、特に注意を要する。
有意水準を複数用意する研究者は、自分の期待する結果を“統計的に確認した”と発表し、自分の期待に反する結果を“有意ではなかった”と黙殺する偏見効果が生じる。
「これは予想に反するかもしれない」と思える傾向については、わざわざゆるい有意水準を持ち出して、「私の予想に反する傾向が無くは無いです」などと論文を混乱させるのはバカバカしい。しらばっくれて、厳しい有意水準だけを論文に登場させるだろう。
一つ一つの論文だけに限れば、この偏見効果は明確には見て取れない。しかし、何本も発表するうちに、その研究者にとってやっかいなデータだけを黙殺する偏見効果が、明らかに表れる。
予備実験と本実験の二段構えで望む。まず、予備実験を行い少数のサンプルを得る。そのデータから、ノイズの大きさを観察し、本実験で必要なサンプル数を割り出す。
予備実験のデータの役割はこれで終わりであり、論文の結論の支持には用いてはならない。予備実験のデータを本実験のデータに統合してはいけない。
性質上ノイズが多い実験や、コストが高くサンプル数が増やせない実験に対して用いることが許容されている。
強い結論を導いてはならない。理論的に充分裏付けがあり、不自然さがない“データの傾向”を検証することに用いる。
一旦実験を行って、有意水準1%の基準をクリアできなかった場合は、本実験を最初からやり直しを行うこと。サンプル数を追加してクリアしようとしてはならない。サンプルの継ぎ足しは、自分の予想だけをひいきしており、差別待遇になる。
また、実験後に有意水準を5%に引き上げて甘くするなどの行為も、同様に不正である。結局、予備実験で必要サンプル数をしっかり見積もることがポイントである。
データの傾向から逸脱するサンプルが極めて少ないことを主張する場合に選択する有意水準。品質管理などで用いる。
技術者の能力のピークは28才で、技術者としての定年は35才。嗚呼、早い。三十路を過ぎると理系能力と体力は下がる。理系の人は、物相手の実験は好きであるが、実は人付き合いが下手で、技術屋の殻に閉じこもりがち。仕事の総合的企画推進能力を培っていないので、35才からの上級職出世コースに乗れない。狭い日本に、土地は輸入でき、実際輸入しているので地価は下がり続ける。などなど。
実験の進め方から人生設計(転職・留学・離婚など)までカバーする本。論文で何を書くべきかが自ずから判る。
若くして大成した人たちの、知られざる波乱の青春を取材したもの。人生は選択の連続で、大学を選ぶ、研究室を選ぶ、研究テーマを選ぶなどは、いずれも重大なギャンブルである。そこで成功する人には、ある決まった性格傾向があることが、本書を読めば判る。
入学試験はペーパーテストで平等主義なのに、就職採用は全人格的評価で縁故主義。学歴とは何の役にどれほど立つのか考えさせる本。「大学院」という名前の上級学校を、目の前にぶら下げられると、本当は学問嫌いな人でも進学したくなる、とか心理学的な考察もある。
「学者となるに必要なのは金と運!」と冒頭で宣言している。そうです。そのとおりです。経済力の無い学生は、大学院生活でかなり不利だし、運の無い学生は学位が取れない。どうすれば学者になれるかを考える本。本書は講演の書き起こしなので短い。
IBMの経営立て直しの話。研究成果が即製品になる企業がいかにして転落し、復活したかが書いてある。社会人の存在とは顧客によって定義されることを認識させられる。
“公正な”競争と、私的独占(=違法)と、特許(技術)による独占(=合法)は、どこで区別をつけるのか。企業の法令遵守(コンプライアンス)とは何か。安泰な大企業がなぜわざわざ法律違反をする(したと問われる)のか。企業や経済とは何なのか。情報はそもそも独占的である。技術という情報とコンプライアンスは共存できるのか。
「経済法で言う公正とは?」=「公益(その商売で世間全体が得る効能)が、私益(事業者が得る利益)より充分大きいこと」。この定義は国語辞典での意味ではない。だが“公正”でない商売は違法になる。キビシイ。多くの経営者が認識していないのも無理はない。
留学してみる? まず、「青春漂流」の田崎真也の回を読んでみる。次に、大型書店の留学関連書コーナーで立ち読みしてみる。
誰かが「俺、今日が誕生日なんだよね」とポロッと言ったら、すかざすウエイトレスがケーキを持ってきた。店からのプレゼントである。スバラシイ。お互い米国では民族的にも思想的にもマイノリティなのは気にしないことにしよう、という結論になった。
店を出ると、そこはダウンタウンなのに(or なので)ゲイ・ストリート。HGのかっこをした人が巷にあふれていた。そんな米国社会。
(大学当局の能力・気合い・使命感がすごい。大学が“非教員・非研究部門の専門職員”を大量に抱えているのが分かる。日本とは、かけはなれている。)
手塚治虫、「マンガの描き方」、光文社知恵の森文庫。文章構成法についての言及が全体の3分の一をなしている。さすがに名人が書いただけはあって、おそろしく正統的でしっかりした実用書であり、かつ独特の着眼点を持った奇書である。
(1) 自分の意見を簡単に撤回してはいけない。なんでも「はい、そうします」と答える人間に、学生としての資格はない。金出氏曰く、「自分は研究テーマについて何ヶ月も考えてきた。あなたはそんなに長時間は考えていないはずである。すると、あなたの意見が正しくて、私の意見が間違っているということは、おかしい」。(2) 「起承転結」は漢詩の作法です。科学論文の執筆には絶対に使わないように。漢詩愛好者の私が言うものなんであるが。
牀前看月光、疑是地上霜、挙頭望山月、低頭思故郷。(李白 静夜思) こんな感じの論文ではロジックが活きてこない。
章にせよ節にせよ段落にせよ、最初の文は、それに異論や別段の興味が無ければ、以降を読み飛ばして構わない約束に、論文ではなっている。「春はあけぼの。」に異論が無ければ、「夏は夕暮れ。」にスキップして読んでもよい。
「私はこの論文を感傷的にならないように努力して書いている。それでもなお、真理を書いたつもりで、グチを並べているだけではないかと不安になる。」(スタンダール、『恋愛論』)
私は、東京大学の佐藤知正教授の研究室で、修士から博士課程まで在籍し、ご指導を受けました。研究に関する考え方は佐藤知正先生からの影響が一番強いと思います。この文章も佐藤理論の亜種のようなものです。
さらに、現在の上司である金出武雄博士からご指導を受けられるという幸運にも恵まれました。このページには金出理論のごくごく片鱗しか紹介できなかったのが残念です。
タイトルに「東大で学んだ」と付け加えた理由は、畑村先生の著書のパロディではなく、東大の先生方から学んだという実態を表すためです。井街宏教授の研究心得は、本当はあと何か条かあったのですが、書き取りきれませんでした。残念です。
必ずしも東大ばかりではありません。ランドシュタイナーの名言は石坂公成博士の「私の履歴書」の連載にあったものです。

 

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